中代文雄なかしろふみお
特撮技術者[日本]
1921年 3月3日 生
没年不詳
中代 文雄(なかしろ ふみお、1921年(大正10年)3月3日 - 没年不明)は日本の東宝所属の操演技師。
東京都出身。
概歴=
1945年(昭和20年)頃、東宝に入社し、特殊機械係を務める。
1953年(昭和28年)、円谷英二の勧めで操演技師となる。
1972年(昭和47年)、東宝を退社し、フリーになる。
エピソード=
初期の東宝では、クレーン操作などを務めていた特殊機械係が操演も担当しており、特技監督の円谷英二が同係の中代を引き抜いて操演の部署を設立した。
特技監督の有川貞昌は、円谷は自身では操演はできないため、中代の感覚を尊重していたと証言している。
同じく東宝で操演技師を務めた松本光司は、中代について「円谷英二の懐刀」であったと評している。
東宝の田中友幸は、中代が操演技術の進歩に大きな役割を果たしたと評している。
とある戦争映画の撮影で、円谷の指示により飛行機の大編隊の撮影を徹夜で準備したが、翌朝になり円谷から中止を言い渡された。
このときのやりとりを見ていたスクリプターの鈴木桂子は中代を不憫に思ったが、中代自身はよほどの自体であったことを理解していた様子で顔色1つ変えずに解体作業に入ったといい、円谷と中代の間に信頼関係が築かれていたことを証言している。
操演技師として、特撮映画に欠かせないミニチュアの飛行シーンなどでは、これを吊るためのピアノ線がくっきりと写ってしまっては興ざめとなるため、中代も苦心した ……
中代文雄さんが誕生してから、103年と263日が経過しました。(37884日)