生年月日データベース

石原俊いしはらたかし

日産自動車 元社長・元会長[日本]

1912年 3月3日

2003年 12月31日 死去享年92歳

石原 俊(いしはら たかし、1912年3月3日 - 2003年12月31日)は、日本の実業家である。
日産自動車社長、日本自動車工業会会長、経済同友会代表幹事として、日本の自動車産業や財界活動に大きな影響を与えた。
来歴・人物= 日産自動車= 東京の府立四中を経て、旧制浦和高校入学。
浦和高時代に学生ストライキを煽ったとして停学処分を受け、2年遅れで東北帝国大学法文学部法科入学。
1937年(昭和12年)に東北帝大法科卒業後、日産自動車に入社。
経理・財務関係に勤め、その後専務や副社長として長く川又克二社長を支えた。
1954年(昭和29年)、42歳の時に取締役に就任し、将来の「日産の社長候補」と目された。
経理部長にあった1957年(昭和32年)、当時弱小の輸出部門に移動となり、実質左遷人事にあった。
そこで米国日産自動車(Nissan Motor Corporation, U.S.A. 略称 NMC。
現北米日産の前身)を設立し、1962年(昭和37年)、日本の業界1位の輸出台数を達成し、翌翌1964年(昭和39年)、米国の輸入車ベストテンのランキング入りを果たし、輸出部門が花形部署になった。
   1977年(昭和52年)6月、前任者の岩越忠恕を継いで同社の社長に就任すると、新経営方針の「グローバル10」を発表し、労使関係の改革に着手した。
これは、世界の自動車生産における日産のシェアを10 %へ引き上げるという目標を掲げた積極的な経営方針の表明であり、その後10年近く続く労使対立のきっかけともなった。
日 ……

石原俊さんが誕生してから、113年と74日が経過しました。(41347日)
亡くなってから、21年と137日が経ちました。(7807日)
33540日間 生きました。

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