野島稔のじまみのる
ピアニスト[日本]
1945年 5月23日 生
2022年 5月9日 死去享年78歳

野島 稔(のじま みのる、1945年5月23日 - 2022年5月9日)は、日本のピアニスト。
東京音楽大学第12代学長。
人物・来歴=
3歳からピアノを始め、桐朋学園大学で井口愛子に師事。
幼少期より非凡な才能を発揮し「神童」として名を馳せた。
1956年11月、第10回全日本学生音楽コンクールピアノ部門小学校の部第1位受賞。
翌年、12歳の時に、当時の常任指揮者であったヴィルヘルム・ロイブナー率いるNHK交響楽団とハイドンのピアノ協奏曲第11番を共演し話題を呼んだ(主催:読売新聞社・1957年5月24日)。
1959年11月、第13回全日本学生音楽コンクールピアノ部門中学校の部第1位受賞。
1963年10月には、第32回日本音楽コンクール第1位大賞を受賞し、高校在学中であったこともあり各種メディアが注目し報じられた。
1963年11月13日付の毎日新聞には「とび抜けた野島の技術」と題した記事に「ほかの部門とくらべても技術的にとび抜けており将来にもっとも大きな期待をかけることができる」(12面)という審査員のコメントが掲載されている。
1964年5月31日には、NHKの音楽番組「音楽の歴史」において、極めて難度が高いとされるリストの超絶技巧練習曲第5番「鬼火」を演奏する姿が放映された。
1966年よりソビエト文化省の招きでモスクワ音楽院に留学し、レフ・オボーリンに入門。
1968年12月、第13回海外派遣コンクール優勝。
1969年、第3回ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール第2位受賞。
ヴァン・ ……
野島稔さんが誕生してから、80年と38日が経過しました。(29258日)
亡くなってから、3年と52日が経ちました。(1148日)
28110日間 生きました。