生年月日データベース

長嶺ヤス子ながみねやすこ

舞踏家[日本]

1936年 2月13日 生 (満88歳)

長嶺 ヤス子(ながみね やすこ、昭和11年(1936年)2月13日 - )は、日本の舞踏家、ダンサー。
福島県会津若松市出身。
来歴= フラメンコダンサーとして= 昭和30年(1955年)スペイン舞踊を習い始める。
昭和35年(1960年)青山学院大学を中退し、スペインに渡る。
マドリッドでダンスを学び、フラメンコに触れる。
しかし、当初は、日本人学生として好意的に受け止められていたが、プロのダンサーとして活動を始める中で苦闘する。
たまたま、アドバイスがあって裸足でフラメンコを踊る。
この裸足での舞踏がフラメンコの原型の再現ということで現地で絶賛される。
昭和50年(1975年)、 「イグナシオ・サンチェス・メヒーアスへの哀歌」で文化庁芸術祭優秀賞、舞踏評論家協会賞を受賞する。
昭和52年(1977年)公演の「サロメ[要曖昧さ回避]」でゴールデン・アロー賞を受賞する。
その後、スペインと日本で活動するが、恋愛面とプロデュース面で折り合いがつかなくなり、日本に帰国する。
日本回帰= 帰国後、フラメンコ以上に長嶺が取り付かれたのが、長唄、三味線などの古来からの日本の音楽である。
特に「娘道成寺」を聞いて心を深く揺さぶられ、間を得るため1000回レコードを聴いたといわれる。
昭和55年(1980年)、「道成寺」を上演。
古典と現代舞踊の融合・復活を絶賛され、同年文化庁芸術祭大賞を受賞。
昭和57年(1982年)、「道成寺」ニューヨーク公演。
連日 ……

長嶺ヤス子さんが誕生してから、88年と282日が経過しました。(32424日)