大岩山大五郎おおいわざんだいごろう
相撲力士[日本]
1919年 5月20日 生
1980年 12月5日 死去享年62歳
大岩山 大五郎(おおいわざん だいごろう、1919年5月20日 - 1980年12月5日)は、東京都中央区(入門時は東京府東京市京橋区)入船出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。
本名は船橋 金次(ふなばし きんじ)。
最高位は西前頭9枚目(1948年10月場所)。
現役時代の体格は179cm、120kg。
得意手は右四つ、上手投げ。
来歴・人物=
17歳の時に立浪部屋へ入門し、1937年5月場所で初土俵を踏んだ。
序ノ口当初より「大岩山」を名乗り、以降は「東岩」や「羽衣」に改名した時期もあったが、いずれも短期間で元の「大岩山」に戻している。
その前後、1944年11月場所で新十両昇進、1946年11月場所で入幕と順調に出世。
力持ちであり右四つ左上手になると強く、稽古場では抜群に強かったが、極度の近視というハンディもあって離れて取る相撲を得意とした力士には苦戦した。
幕内で最も活躍したのは1952年5月場所で、三賞受賞は逸したが12勝3敗と大勝ちし、優勝争いにも参加している。
幕内上位への進出は果たせなかったものの、弓取り力士として人気があり、入幕してからも弓取り式を担当していた。
元大相撲力士である力道山光浩(最高位・関脇、当時はプロレスラー)が大阪府立体育館(1953年3月場所)で撮影した、大岩山の弓取り映像が現存している。
1954年3月場所限りで引退後は、年寄・鳴戸を襲名し、立浪部屋付きの親方として後輩達を指導。
日本相撲協会では、相撲教習所の指導員を永年に ……
大岩山大五郎さんが誕生してから、105年と187日が経過しました。(38538日)
亡くなってから、43年と352日が経ちました。(16058日)
22480日間 生きました。