生年月日データベース

上野英三郎うえのひでさぶろう

農業土木学者[日本]

(明治4年12月10日生)

1872年 1月19日

1925年 5月21日 死去享年54歳
上野英三郎 - ウィキペディアより引用

上野 英三郎(うえの えいざぶろう、うえの ひでさぶろう、1872年1月19日〈明治4年12月10日〉 - 1925年〈大正14年〉5月21日)は、日本の農学者。
農学博士。
東京帝国大学教授。
日本の農業土木、農業工学の創始者である。
また東京都渋谷駅前に銅像が建つ忠犬ハチ公の飼い主としても知られる。
人物= 三重県一志郡本村(後の久居市、現在の津市久居元町)出身。
上野六兵衛の三男。
1887年(明治20年)に東京農林学校に入り、1890年(明治23年)に農科大学予科に編入され、1892年(明治25年)に同大学農学科に転じ、1895年(明治28年)7月、東京帝国大学農科大学を卒業する。
農学士の称号を受け直に大学院に入り農業土木及び農具に関する事項を研究する。
1900年(明治33年)7月10日大学院満了。
同年8月東京帝国大学農科大学講師。
1902年(明治35年)3月農科大学助教授。
1899年(明治32年)、政府は「耕地整理法」を制定し、その翌年より耕地整理事業が着工されることになったが、当時は農業土木学の専門技術者が皆無の状態で、農業土木を研究していた唯一の学者が上野であった。
そこで、上野は耕地整理の研究を進めながら、各地へ出かけて講演や技術指導を続けた。
また、1905年(明治38年)には農商務省委託の農業土木技術員養成官の任務に就き、その後20年間に亙って3,000人を越える技術者の育成に努めた。
上野から指導を受けた技術者は、1923年(大正12年)の関東大震災後の帝都復興 ……

上野英三郎さんが誕生してから、152年と306日が経過しました。(55824日)
亡くなってから、99年と184日が経ちました。(36344日)
19480日間 生きました。

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