河野通文こうのみちふみ
競馬調教師[日本]
1950年 1月8日 生 (満74歳)
河野 通文(こうの みちふみ、1950年1月8日 - )とは日本中央競馬会美浦トレーニングセンターに所属していた調教師である。
愛媛県出生、岐阜県出身。
来歴・人物=
1950年、愛媛県北宇和郡松野町にて出生。
外科医として医療に携わる一方で武道を嗜んでいた父の影響から、小中学校時代より柔剣道部で活動し、高校に進学したときも空手部に所属という武道少年であった。
やがて上京し、神奈川県藤沢にある日本大学農獣医学部へと進学。
ここでも空手部に籍を置いたが、父と違い酒を受け付けない体質のため、部活のあとに無理強いされる酒が飲めず、わずか数か月で退部し古武道部へと移る。
古武道部はのちに上司となる西塚安夫が創部し初代主将を務めていた部であり、のちに河野は同部の2代目主将に抜擢されている。
4年生となり卒業を間近に控えた河野であったが就職活動をすることはなく、大学卒業後に同期生や先輩仲間達とハワイに渡ってハイビスカスの栽培を手がける事業を拓くつもりであったが、アメリカの景気悪化により断念。
その後部活動の先輩である西塚の実家が経営する牧場勤務を勧められ、北海道へと渡る。
新冠町にある西塚の育成牧場に1年ほど身を寄せた河野はそこで調教助手の資格を取得、安夫の父である西塚十勝調教師のもとで働くこととなった。
1973年春、ふたたび東京へと戻ったが、その3年後の1976年春、「馬社会の一種独特な世界に自分が馴染めなかった」 ……
河野通文さんが誕生してから、74年と317日が経過しました。(27346日)