生年月日データベース

磯辺サタいそべさた

元バレーボール選手[日本]

1943年 12月18日 生 (満81歳)

磯辺サタ - ウィキペディアより引用

磯辺 サタ(いそべ さた、結婚後の姓は丸山、1943年12月19日 - 2016年12月18日)は、日本の元女子バレーボール選手。
1964年東京オリンピック金メダリスト。
東洋の魔女のメンバー。
来歴= 幼少の頃に両親を亡くし、千葉県香取郡神崎町にある叔母の家で育つ。
神崎町立神崎中学校時代に学級担任に勧められてバレーボールを始める。
卒業後、一時日紡貝塚(のちのユニチカ・フェニックス)に籍を置いたが、翌年四天王寺高校に入学した。
高校卒業後、再び日紡貝塚に入社。
1964年東京オリンピックでは日本代表チームの最年少メンバーとして出場し、「東洋の魔女」の主力メンバーとして、決勝戦で宿敵であるソ連に勝利し、金メダルを獲得した。
守備から攻撃にすぐ移れるように、回転レシーブを考案し実践した。
1965年に引退。
1988年ソウルオリンピックに、長男の丸山繁守が背泳ぎの競泳選手として出場している。
2016年12月18日午後10時13分、大阪市内の自宅で死去。
72歳没。
73歳の誕生日を迎える2時間前の訃報であった。
球歴= 全日本代表としての主な国際大会出場歴 オリンピック - 1964年 世界選手権 - 1962年 所属チーム= 四天王寺高校 日紡貝塚

磯辺サタさんが誕生してから、81年と163日が経過しました。(29748日)