オスカル・フェルディナント・グリッペンベルクOskar-Ferdinand Kazimirovich Grippenberg
陸軍中将[ロシア]
1838年 1月1日 生
1915年 12月25日 死去享年78歳
オスカル・フェルディナント・カジミーロヴィチ・グリッペンベルク(ロシア語: Оскар-Фердинанд Казимирович Гриппенбергオースカル・フィルヂナーント・カズィミーラヴィチュ・グリッピンビェールク, ロシア語ラテン翻字: Oskar-Ferdinand Kazimirovich Grippenberg, 1838年1月1日 - 1915年12月25日)は、ロシア帝国の軍人。
トルキスタン遠征、露土戦争に従軍したほか、日露戦争では黒溝台会戦での攻勢で日本軍を窮地に追い込んだ。
経歴=
バルト・ドイツ人の家庭にサンクトペテルブルクで生まれる。
軍歴の最初は1854年のクリミア戦争への従軍。
1863年‐64年、ポーランド反乱(一月蜂起)鎮圧に従軍。
1867年から中央アジア(トルキスタン)遠征に従軍、ブハラ攻略戦に参加。
1870年、第17狙撃兵大隊長。
1872年、第2近衛狙撃兵大隊長。
1877年の露土戦争にモスクワ近衛連隊長として従軍、孤立無援な状況でトルコ軍の度重なる反撃を撃退して武名を挙げ、受勲多数。
1888年、近衛第1歩兵師団第1旅団長。
1890年、少将に昇進し近衛第1歩兵師団長。
1900年、中将となり第6軍団長。
翌年からヴィレンスク軍管区司令官。
1904年に日露戦争が始まりロシア軍が徐々に北方に追われると、ベテランの将軍として反攻を指揮するべく11月に満洲に派遣された。
軍を閲兵して自信を深めたグリッペンベルクは「後退は許さない」と訓示して全軍で反転攻勢に転じるつもりであったが、実際はロシア満洲軍 ……
オスカル・フェルディナント・グリッペンベルクさんが誕生してから、186年と323日が経過しました。(68260日)
亡くなってから、108年と332日が経ちました。(39779日)
28481日間 生きました。