ジョン・ジェイJohn Jay
政治家[アメリカ]
1745年 12月12日 生
ジョン・ジェイ(John Jay, 1745年12月23日 - 1829年5月17日)は、アメリカ合衆国の政治家。
連邦最高裁判所の初代長官、ニューヨーク州知事などを務めた。
「アメリカ合衆国建国の父」(ファウンディング・ファーザーズ)の一人とみなされる。
生涯=
ニューヨークで豊かな商人の家庭に生まれた。
キングズ・カレッジ(後のコロンビア大学)に学ぶ。
アメリカ独立への機運が高まる中で開催された大陸会議に参加し、一時は議長も務めた。
アメリカ独立戦争においては外交官として活躍し、1783年に締結された講和条約であるパリ条約の草案作成に尽力した。
政治的にはフェデラリスト(連邦主義、合衆国政府の権限強化を支持)の立場をとった。
ジェームズ・マディソン、アレクサンダー・ハミルトンとともに、ザ・フェデラリスト論文の執筆者となる。
独立後、初代大統領のジョージ・ワシントンは、イギリスとの関係改善を図り、ジェイを特別使節としてイギリスへと派遣した。
ここで成立したのがジェイ条約(1794年)であったが、イギリスに対して有利な条約であるとの批判もみられた。
1795年にニューヨーク州知事に就任し、1801年までその職にあった。
1829年5月15日、ジェイは自宅で息を引き取った。
外部リンク=
ジョン・ジェイさんが誕生してから、278年と342日が経過しました。(101882日)