マルティン・ハインリヒ・クラプロートMartin Heinrich Klaproth
化学者[ドイツ]
(ウラン・ジルコニウム・セリウムを発見)
1743年 12月1日 生
1817年 1月1日 死去享年75歳
マルティン・ハインリヒ・クラプロート(Martin Heinrich Klaproth、1743年12月1日 – 1817年1月1日)は、ドイツの化学者である。
人物=
ヴェルニゲローデに生まれた。
16歳で薬局につとめ、その後クヴェトリンブルク、ハノーファーなどで薬局の助手を務め、1768年ベルリンにでた。
1770年有名な化学者ローゼの助手になったが、その直後にローゼが亡くなったので、ローゼの仕事をつぐことになった。
1795年に王立協会フェロー選出。
1810年にフンボルト大学(ベルリン大学)が創設されると初代の化学の教授になった。
分析化学と鉱物学に業績を残した。
ウラン、ジルコニウム、セリウムの発見者とされ、テルルとチタンの発見を確認し、これらの元素の命名者になっている。
1789年、ピッチブレンドから酸化ウランを精製し、新元素であると結論し、同年9月24日プロイセン科学アカデミーで発表した。
息子=
ユリウス・ハインリヒ・クラプロート(Julius Heinrich Klaproth) (1783年 - 1835年)…19世紀ヨーロッパを代表する東洋学者。
マルティン・ハインリヒ・クラプロートさんが誕生してから、280年と354日が経過しました。(102624日)
亡くなってから、207年と323日が経ちました。(75930日)
26694日間 生きました。