関光徳せきみつのり
プロボクシング選手[日本]
1941年 1月4日 生 (満83歳)
関 光徳(せき みつのり、1941年1月4日 - 2008年6月6日)は、日本の元プロボクサー。
元OBF東洋フェザー級王者。
横浜光ボクシングジム初代会長。
東京都北区出身。
来歴=
現役時代=
世界ミドル級チャンピオンであったロッキー・グラジアノの半生を映画化した「傷だらけの栄光」に興奮した友人のボクシングジム入門に付き添っていったところ、つい自分も入門してしまったという。
1958年12月、新和ボクシングジム(新和拳)からフライ級でデビューしたが初戦は4回判定で敗れて黒星。
しかしアジアの強豪を次々に破り、デビューから2年半後の1961年6月27日、遂に世界初挑戦のチャンスを掴み、世界フライ級チャンピオンポーン・キングピッチ( タイ)に挑戦。
減量に苦しむ関はキングピッチの老獪なボクシングに強打を封じられ、判定負けで王座獲得ならず[文献 1]。
次戦でバンタム級に転級し、1961年8月31日、世界ランカーのジョー・メデルと再起戦を行うも5回にカウンターを受けKO負け。
以後は階級をフェザー級に上げ、1962年9月12日、ベラニド・チャルムーン( タイ)に12回判定勝ちしOBF東洋フェザー級王座を獲得し、この王座は、徐強一( 韓国)、ジョニー・ハミト( フィリピン)などの強豪らから12度防衛に成功した。
1963年は、年間11試合を行い全勝(8KO)、この余勢をかって1964年3月1日、東京:蔵前国技館で世界フェザー級王者シュガー・ラモス( キューバ)に挑戦したが、ラモス ……
関光徳さんが誕生してから、83年と321日が経過しました。(30637日)