ゼンジー北京ぜんじーぺきん
マジシャン[日本]
1940年 1月3日 生 (満84歳)
ゼンジー北京(ゼンジー ペキン、本名 渡辺重信、1940年〈昭和15年〉1月3日 - )は、広島県呉市出身のタレント、手品師である。
和光プロダクション所属。
人物・略歴=
広島県呉市生まれ。
4歳の時、大阪府三島郡(現在の摂津市)へ転居。
大阪府立春日丘高等学校を卒業後、1958年にデパートのマジック売り場で、ディーラー兼実演販売をしていたゼンジー中村に弟子入りし、「魔法のグループ」で後見で初舞台。
1963年に独立し、新花月を皮切りに角座に出演。
デビュー当初は本名にちなんだ「ゼンジー渡辺」の芸名で活動。
当時のマジックは喋らずにBGMを流し、黙々とやるのが主流だった。
それで周りとの差別化を図るため喋りを始めたが、元々人前に立つと緊張のあまり声が出なくなる程の極度のあがり症で、新人時代はまともに舞台をこなせず苦労した。
たまたま事務所の隣が中国料理店で、そこの店員の喋り方を真似て、チャイナ服を着て「~アルヨ」といった独特の言い回し(協和語や横浜ピジン日本語に似る)を用いる中国人をイメージした芸風を編み出し、コミカルマジックと合わせ人気を博した。
「タネモシカケモ、チョトアルヨ」「ヨークミテ、チョウダイ」などの怪しげな語り口は、この会話手法を取り入れて別の人格で舞台で演じていると意識することにより、あがり症を克服したものだった。
出身地が広島ということに引っかけた看板ギャグ「ワタシ中国ハ広島ノウマレア ……
ゼンジー北京さんが誕生してから、84年と323日が経過しました。(31004日)