宮内聡みやうちさとし
サッカー監督[日本]
1959年 11月26日 生 (満64歳)
宮内 聡(みやうち さとし、1959年11月26日 - )は、東京都出身の元サッカー選手、指導者。
略歴=
帝京高校時代は攻撃的MFとしてプレー。
1976年の第55回全国高等学校サッカー選手権大会で3位になり優秀選手に選出。
1977年は早稲田一男、金子久らと共に第56回全国高等学校サッカー選手権大会優勝に貢献し優秀選手に選出された。
卒業後の1978年に早稲田、金子と共に日本サッカーリーグ1部の古河電気工業(現ジェフユナイテッド市原・千葉)に入部。
同年に日本ユース代表に選出され、1979 FIFAワールドユース選手権のメンバーに選ばれたが、試合出場機会は与えられなかった。
所属する古河電工では2年目の1979年からスタメンに定着しリーグ戦第4節の東洋工業(現サンフレッチェ広島F.C)戦で初得点を記録したが古河での練習中に右膝半月板を損傷。
手術とリハビリに数年間を費やし、復帰後も後遺症に悩まされるなど、右膝の怪我は宮内の選手生命を左右する物となった。
1983年に2度目の手術から復帰を果たすと守備的MFに転向。
それまでの攻撃を組み立てる側から、体を張った守備やタックルで相手の攻撃の芽を摘み取る側へと代わったが、このポジションで才能を開花。
1985年には11シーズンぶり2回目となるリーグ優勝。
翌年にはアジアクラブ選手権1986の優勝に貢献した。
日本代表としては、1984年9月20日の韓国戦でデビュー。
この試合で評価を受けた宮内は森孝慈監督の下で代表メンバー ……
宮内聡さんが誕生してから、64年と363日が経過しました。(23739日)