重松逸造しげまついつぞう
医学者[日本]
1917年 11月25日 生
重松 逸造(しげまつ いつぞう、1917年11月25日 - 2012年2月6日)は、日本の医学者。
ラバウルで海軍軍医として終戦を迎える。
都築正男の後継としてABCCの日本側代表、国立公衆衛生院疫学部長、財団法人放射線影響研究所理事長、ICRP委員、厚生省研究班班長などを歴任したのをはじめ、疫学・公衆衛生学・放射線影響学において重要な役割を果たした。
叙勲された。
経歴=
大阪府生まれ。
1941年12月 東京帝国大学医学部医学科卒業
1952年3月 医学博士
1955年6月 ハーバード大学公衆衛生大学院修了(Master of Public Health)
1942年1月 東京帝国大学医学部付属病院第3内科副手
1947年8月 公衆衛生院疫学部研究員、慢性伝染病室長
1962年1月 金沢大学医学部教授(公衆衛生学)
1966年4月 国立公衆衛生院疫学部長
1981年7月 - 1997年 財団法人放射線影響研究所理事長
1992年4月 ロンドンの王立医科大学研究員 Fellow,Royal College of Physicians,London
1997年7月 財団法人放射線影響研究所名誉顧問
2002年6月 王立医科大学公衆衛生学教室名誉研究員 Honorary Fellow,Faculty of Public Health,Royal Colleges of Physicians,UK
2012年2月6日 誤嚥性肺炎のため死去。
94歳没。
役職・業績=
元日本公衆衛生学会理事長
日本疫学会・国際疫学学会、日本衛生学会、公衆衛生学会、結核病学会、脳卒中学会、放射線影響学会等の名誉会員
イタイイタイ病やスモンなどの疫学的研究、原爆被爆者追跡調査などを指導した。
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