寿岳章子じゅがくあきこ
国語学者、エッセイスト[日本]
1924年 1月2日 生
2005年 7月13日 死去享年82歳
寿岳 章子(じゅがく あきこ、1924年1月2日 - 2005年7月13日)は、日本の国語学者・エッセイスト・社会活動家。
経歴・人物=
寿岳文章・寿岳しづ夫妻の長女として京都府に生まれる。
弟は天文学者の寿岳潤。
旧制京都府立第一高等女学校、旧制京都府立女子専門学校を経て、1946年(昭和21年)に東北帝国大学法文学部を卒業[1]、京都大学大学院へ進学。
京都府立大学助教授、教授として同大学に36年間勤務。
墓所は南禅寺慈氏院。
業績=
寿岳の研究業績としては、室町時代の口語資料である抄物の研究が挙げられる。
寿岳は抄物の語句や文章形態や文法構造について、抄物を語った人物[注 1]の声として捉えようとした[2]。
あくまでも生きた人間の言葉に目を向け、抄物それ自体の言葉に深く切り込んで、その性格を解明して資料性を保証したのである[2]。
また寿岳は日本語と女性の人生との関係を明確にした[3]。
女性語によっていかに日本の女性が喘いできたかを具体例とデータで示しながら説き進める姿勢には、まだジェンダーの概念が入っていなかった頃より本質を見据えていた[3]。
さらに護憲・反核、まちづくり、福祉、女性差別是正などの要求実現に向けた発言や政治革新運動のリーダーとして活動[4]。
「憲法を守る婦人の会」の活動に30年以上携わった。
著書=
単著=
レトリック 日本人の表現 共文社, 1966
女は生きる 名前が語る女の歴史 三省堂新書, 1968
花と詩の旅 芸艸堂, 1970
働 ……
寿岳章子さんが誕生してから、101年と180日が経過しました。(37070日)
亡くなってから、19年と352日が経ちました。(7292日)
29778日間 生きました。