沖牙太郎おききばたろう
沖電気創業者[日本]
(嘉永元年4月8日生)
1848年 5月10日 生
1906年 5月29日 死去享年59歳
沖 牙太郎(おき きばたろう、1848年5月10日(嘉永元年4月8日) - 1906年(明治39年5月29日))は、明工舎(沖電気の前身)創業者。
日本で初めて電気通信機器の製造・販売事業を興した技術者・実業家。
略歴=
1848年5月10日安芸国沼田郡新庄村(現在の広島市西区新庄町)の農家・沖太郎の末子として生まれる。
因みに、同日に資生堂創業者の福原有信も産まれている。
1874年(明治7年)実家の農業を嫌い、27歳で銀細工師の腕だけを頼りに文明開化の東京に飛び出し、工部省電信寮(1877年電信局)で電信技術に携わる。
電信寮の同僚に田中大吉、三吉正一ら。
1877年(明治10年)西南戦争を機に電信事業の必要性が増大すると、政府からの電信機国産化の要請を受けて電信用の電気針や電極器などの製作に努力し、同年米国から渡来した電話機の国産製造実験にも参加。
この頃から電信局の三吉ら若手技術者達を糾合し、同局内に電気機械の国産化を試みる研究グループを設立した。
狩野タケと結婚。
1879年(明治12年)電信局に所属のまま、東京・芝西久保桜川町(現在の港区虎ノ門)の長屋で電信局の下請け工場を始め、新製品の研究に没頭。
1881年(明治14年)電信機・電話機・電線・電鈴等の製造、販売を目的として東京・銀座に日本初の通信機器メーカー「明工舎」(後の沖電気工業)を設立、同年、国産第1号電話機を製造。
1882年(明治15年)松方財政によるインフレーションで一時経営危機に ……
沖牙太郎さんが誕生してから、176年と194日が経過しました。(64478日)
亡くなってから、118年と176日が経ちました。(43276日)
21202日間 生きました。