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野口兼資のぐちかねすけ

シテ方宝生流能楽師[日本]

1879年 11月7日

1953年 10月4日 死去享年75歳
野口兼資 - ウィキペディアより引用

野口 兼資(のぐち かねすけ、1879年(明治12年)11月7日 - 1953年(昭和28年)10月4日)は、シテ方宝生流能楽師。
本名、野口政吉(のぐち まさきち)。
経歴= 愛知県名古屋市に生まれる。
16世宝生九郎知栄の高弟。
野口家は名古屋の宝生流の旧家で祖父野口庄兵衛に養われ、7歳で初舞台を踏み,14歳以降,16世宝生九郎の弟子となる。
その薫陶を受けた。
難声ながら強靭で気品のある芸風は幽玄で、本三番目物にすぐれ、名人の名をほしいままにした。
シテ方宝生流では松本長と並び称された。
他流では「気合の十四世六平太、位の兼資」とも評される。
1948年4月、「姨捨」により日本芸術院賞を受賞した。
1950年日本芸術院会員。
1953年福岡市住吉能楽堂で『隅田川』演能中に脳溢血で急逝。
著書= 『黒門町芸話』 (1943年) 『兼資芸談』 (1953年) DVD= 能楽名演集 宝生流「羽衣」野口兼資/「綾鼓」高橋進、NHKエンタープライズ

野口兼資さんが誕生してから、145年と14日が経過しました。(52975日)
亡くなってから、71年と48日が経ちました。(25981日)
26994日間 生きました。

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