フェルディナント・アールトCarl Ferdinand Ritter von Arlt
医学者・眼科医[オーストリア]
1812年 4月18日 生
フェルディナント・アールト(Carl Ferdinand von Arlt、1870年に爵位を受けてベルクシュミット男爵、Ritter von Bergschmidt、1812年4月18日 - 1887年3月7日)は、オーストリアの眼科医、医学者である。
略歴=
現在のチェコ、ウースチー州のKrupkaに生まれた。
リトムニェジツェの高校を卒業し、1831年に神学を学ぶためにプラハ大学に入学したが、医学に転じ、1839年に博士号を得て、1840年に眼科学の助教授となった。
1842年に個人診療所を開いた。
1849年にプラハ大学の正教授となった。
1856年から1883年の間、ウィーン大学の教授となり、ローザス(de:Anton von Rosas)の後を継いで、眼科部門を率いた。
ウィーン大学の眼科治療を改革し、病理学や生理学、組織学の研究を取り入れ、眼科学の科学的研究の基礎を築いた。
人物=
国際的に参考にされた教科書『臨床医学のための眼の疾病』("Die Krankheiten des Auges für practische Ärzte" 3巻、1851–1856)を著した。
有名な眼科学者、グレーフェ(Albrecht von Graefe)や貴族でありながら眼科医となったカール・テオドールはアールトの弟子、友人であった。
耳鼻科の分野で業績を残した、トレルチ(de:Anton Friedrich von Tröltsch)もアールトの教えを受けた。
眼科学の分野で、アルルト線(Arlt's line:眼病の症状)や. アルルト手術などに名前が残されている。
孫娘のイルゼ(Ilse Arlt)は社会学者として知られている。
著作=
Die Pflege der Augen im gesunden und kranken Zustand, nebst einem Anhange über die ……