生年月日データベース

川口知哉かわぐちともや

プロ野球選手[日本]

1979年 8月25日 生 (満39歳)

川口 知哉(かわぐち ともや、1979年8月25日 - )は、京都府城陽市出身の元プロ野球選手(投手)・監督。
来歴・人物編集 平安高校3年生時の1997年、春の甲子園と夏の甲子園に、エースピッチャー兼4番打者として出場。
春はベスト8に進出、夏は決勝で強打者の中谷仁らを擁する智弁和歌山に惜しくも3-6で敗れたが、同校を準優勝へと導いた。
140km/h台の直球と落差の大きいカーブを武器に当時西のドクターKと呼ばれ、甲子園不出場ながら東のドクターKとして有名な選手であった井川慶、能見篤史と並んで高校生左腕三羽ガラスと呼ばれた。
全国大会での実績、実力とビッグマウスぶりから注目度はNo.1であった。
同年のドラフト会議ではオリックス、近鉄、ヤクルト、横浜の4球団から1位指名を受け、抽選の結果、希望通りオリックスへ入団した。
しかし、高校野球を席巻した左腕もプロ入り後は故障や制球難に苦しんだ。
制球難克服の為に毎年のようにフォーム改造に挑んだものの成果は上がらなかった。
1999年10月には一軍初登板を果たしたが、以降は二軍生活が続いた。

関連書籍

プロ野球、オリックス・ブルーウェーブの選手。通称「ビッグマウス」。 左投左打、ポジションは投手。背番号は16→68番。 1979年8月25日生まれ、京都府城陽市出身。 寺田小学校5年の時に少年野球チーム「寺田グレート」に入団。 城陽中学校時代にはボーイズリーグの「京都宇治ペガサス」で活躍。 平安高校では、2年からエースとしてマウンドを任される。 1997年、全国高等学校野球選手権大会では、140キロを超える速球と切れ味鋭いカーブを武器に三振の山を築き準優勝に貢献。 同年、ドラフト1位でオリックス・ブルーウェーブに入団。 甲子園でも優勝は当然と言い、入団時に開幕ローテーションを宣言したり、背番号も佐藤義則の後の11番を希望するなど、 その言動で一躍有名となり、ビッグマウスと称された。 しかし、登板機会がほとんどなかった。フォームの改造に失敗するなど不運な部分もあった。 2001年8月29日、ウエスタンリーグの阪神タイガース戦では、1試合15四球、連続7四球の不名誉な日本記録を樹立。 2004年、現役引退。 通算成績は9試合登板、0勝1敗0セーブ、防御率3.75。 (引用元 Hatena Keyword)

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