丸木位里まるきいり
日本画家[日本]
1901年 6月20日 生
1995年 10月19日 死去享年95歳
丸木 位里(まるき いり、1901年6月20日 - 1995年10月19日)は、日本画家。
妻・丸木俊との共同制作「原爆の図」や「沖縄戦の図」で知られる。
生涯=
丸木俊 / 位里の妻で「原爆の図」の共同制作者。
丸木スマ / 位里の母で戦後に画家としての活動を始めたが非業の死を遂げた。
生い立ち=
広島県安佐郡飯室村(現・広島市安佐北区)で農業および太田川で船宿を営む丸木金助と丸木スマの子として生まれた。
臨月の頃、スマは船宿の2階から客の食膳を下げる際に階段から転落した。
その事故により、出生した位里の顔の右側には目立つ痣が残ってしまっていた。
このことで位里に負い目を感じたスマは、位里の生き方に干渉せず、一切を本人の自由に任せていた。
「原爆の図」以前=
1919年に大阪市天王寺区にあった松村景春校長の精華美術学院で図案を学ぶが、ほどなくして栄養不良で脚気となり帰省。
1923年春には上京し田中頼璋の天然画塾に学んだものの、関東大震災後に頼璋が広島へ拠点を移したため帰郷した。
1928年には第13回広島県美術展覧会に三段峡を題材にした《黒淵》で初入選。
その後はプロレタリア芸術運動に参加し、新聞に詩や散文を発表、演劇活動や選挙運動に奔走する。
このころ、自宅を全国大衆党芸北支部としていた。
1934年12月に上京し、落合朗風の明朗美術研究所に通う。
翌年には第14回日本南画院や昭和10年度日本画会展に入選。
秋には中國新聞社にて第1回丸 ……
丸木位里さんが誕生してから、123年と162日が経過しました。(45088日)
亡くなってから、29年と42日が経ちました。(10634日)
34454日間 生きました。