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阿部正弘あべまさひろ

備後福山藩主、老中首座[日本]

(文政2年10月16日生)

1819年 12月3日

1857年 8月6日 死去享年39歳
阿部正弘 - ウィキペディアより引用

阿部 正弘(あべ まさひろ、文政2年10月16日(1819年12月3日) - 安政4年6月17日(1857年8月6日))は、江戸時代末期の備後福山藩第7代藩主。
江戸幕府の老中首座を務め、幕末の動乱期にあって安政の改革を断行した。
阿部家宗家11代。
生涯 出生 文政2年10月16日(1819年12月3日)、第5代藩主・阿部正精の五男として江戸西の丸屋敷で生まれた。
文政9年6月20日(1826年7月24日)に父・正精が死去して兄の正寧が家督を継ぐと、正弘は本郷(文京区)の中屋敷へ移った(現在でも中屋敷のあった文京区西片には文京区立誠之小学校、阿部公園(西片公園)など、由来する施設が残っている)。
しかし正寧は病弱だったため、10年後の天保7年(1836年)12月25日、正弘に家督を譲って隠居した。
天保8年(1837年)、正弘は福山へのお国入りを行った(正弘が国元へ帰ったのはこの1度のみである)。
天保9年(1838年)9月1日、奏者番に任じられる。
天保11年(1840年)5月19日には寺社奉行見習に、11月には寺社奉行に任じられ、感応寺の破却などを行なっている。

関連書籍

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あべまさひろ [生]文政2(1819).10.16.江戸[没]安政4(1857).6.17.江戸江戸時代末期の老中。伊勢守。正精(まさきよ)の子。備後福山10万石を継ぐ。天保11(1840)年,寺社奉行となり治績をあげた。同14年,25歳の若さで老中に昇進,水野忠邦の失脚後,老中首座となる。外国船の出没が激しくなると海防を厳重にすることを奨励したが,攘夷には批判的であった。ペリー来航のとき,諸大名に対策を諮問して国論の統一をはかるかたわら,幕府への支持を強化させようとし,また海外事情に明るい幕吏を選び登用して,新事態に即応できる態勢を整えようとした。彼のもとで,アメリカなど4ヵ国との間に和親条約が締結され,開国政策への大転換が実行された。 (引用元 コトバンク)

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