生年月日データベース

片桐且元かたぎりかつもと

戦国武将[日本]

(弘治2年生)

1556年

1615年 6月24日 死去享年60歳
片桐且元 - ウィキペディアより引用

■ 関連書籍

かたぎりかつもと [生]弘治2(1556).近江[没]元和1(1615).5.28.駿府安土桃山~江戸時代初期の武将。直貞の子。初名は直盛,通称は助作(助佐),市正ともいう。若いときから荒小姓として豊臣秀吉に仕え,天正11(1583)年の賤ヶ岳の戦いに功があり,「七本槍」の一人として1万石を与えられた。文禄1(92)年の文禄の役に従軍,のち秀吉没後は秀頼の後見となり,関ヶ原の戦い後,徳川家康に秀頼の罪なきことを説き,終始豊臣家のために尽力した。しかし慶長19(1614)年,大仏鐘銘事件が起り,以後,淀君らと不和になり,大坂城を退いて居城茨木に帰った。翌元和1(15)年の大坂冬の陣には徳川方として参陣,翌年の夏の陣では,大坂城落城に際して淀君,秀頼の助命を家康に懇願したが入れられなかった。且元は大和竜田の4万石を安堵されたが,まもなく死去した。 (引用元 コトバンク)

連想語句
  • 事件
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  • 出生
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  • 注釈
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  • 生涯
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