細川ガラシャほそかわがらしゃ
細川忠興の正室[日本]
(明智光秀の三女、永禄6年生)
1563年 生
1600年 8月25日 死去刺殺享年38歳
細川ガラシャの辞世 |
散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ |
細川 ガラシャ(伽羅奢、迦羅奢、Gracia) / 明智 玉(子)(明智 珠(子))(ほそかわ ガラシャ / あけち たま(たまこ)、永禄6年(1563年)- 慶長5年7月17日(1600年8月25日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての女性。
明智光秀の三女で細川忠興の正室。
実名は「たま」(玉/珠)または玉子(たまこ)。
法名は秀林院(しゅうりんいん)。
キリスト教徒(キリシタン)。
子に、於長(おちょう:前野景定正室)・忠隆・興秋・忠利・多羅(たら:稲葉一通室)などがいる。
推定関連画像
亡くなってから、423年と203日が経ちました。(154704日)