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田沼意次たぬまおきつぐ

遠江相良藩主、老中[日本]

(享保4年7月27日生)

1719年 9月11日

田沼意次 - ウィキペディアより引用

田沼 意次(たぬま おきつぐ)は、江戸時代中期の旗本、のち大名、江戸幕府老中。
遠江相良藩の初代藩主である。
相良藩田沼家初代。
生涯 出生 享保4年(1719年)7月27日、紀州藩士から旗本になった田沼意行の長男として江戸の本郷弓町の屋敷で生まれる。
幼名は龍助。
父・意行は紀州藩の足軽だったが、部屋住み時代の徳川吉宗の側近に登用され、吉宗が第8代将軍となると幕臣となり小身旗本となった。
吉宗は将軍就任にあたって紀州系の家臣を多数引きつれて幕臣とし、特に勘定方と将軍および子供たちの側近に配置して幕政を掌握したが、意次は紀州系幕臣の第二世代目に相当し、第9代将軍となる徳川家重の西丸小姓として抜擢され、享保20年(1735年)に父の遺跡600石を継いだ。
意次は父・意行が当時としては老齢になってから初めて生まれた息子だった。
意行は息子を授かるために七面大明神に帰依し、そして意次が生まれた。
そのため意次は七面大明神に感謝し、家紋を七曜星に変更したといわれる。
相良藩主時代 元文2年(1737年)、従五位下主殿頭になり、延享2年(1745年)には家重の将軍就任に伴って本丸に仕える。

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関連書籍

(1719年〜1788年?) 江戸時代の政治家。徳川家重の小姓を経て、側用人、老中。 重商主義に基づく経済政策を行った。 徳川家治死後の天明6年(1786年)、老中御役御免(失脚)。 清濁併せ飲む人物であったが、賄賂政治のイメージは失脚後に政敵の松平定信らによってつけられたもの。 (引用元 Hatena Keyword)