生年月日データベース

小嶺忠敏こみねただとし

サッカー監督[日本]

1945年 6月24日 生 (満73歳)

小嶺忠敏 - ウィキペディアより引用

小嶺 忠敏(こみね ただとし、1945年6月24日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)。
一般社団法人長崎県サッカー協会会長、長崎総合科学大学特任教授。
来歴・人物 長崎県南高来郡堂崎村 (現:南島原市) 出身。
父親は生前に太平洋戦争で戦死したため母子家庭 (7人兄弟) で育ち、一家は農業で生計を立てていた。
中学(堂崎中学)時代はバレーボール部に所属。
長崎県立島原商業高校入学後よりサッカー部に所属し、3年時には主将を務め、九州選抜チームにも選出された。
高校卒業後は家庭事情から就職する予定であったが大阪商業大学からのスカウトもあり同大学に進学してサッカー部に所属。
関西学生サッカーリーグ3部だったチームを大学3年時に1部へ引き上げる原動力となった。
サッカー部を持つ企業へ大卒後の就職が内定していたが、母校の長崎県立島原商業高校時代のコーチから誘いを受けて教員を目指し、長崎県の教員採用試験に合格した。

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サッカー指導者。 1945年6月24日生まれ。長崎県南島原市(旧堂崎村)出身。 長崎県立島原商業高等学校、大阪商業大学卒。 長崎県立国見高等学校サッカー部元総監督。 現在は長崎県サッカー協会会長、株式会社V・ファーレン長崎アドバイザー、長崎総合科学大学特任教授を務めている。 1970年、長崎県立島原商業高等学校の商業科教諭およびサッカー部監督に就任。遠征用のマイクロバスを自費で購入して、チームの強化を図ったエピソードは有名。1977年に全国高等学校総合体育大会サッカー競技大会で長崎県勢として初優勝を果たした。 1984年、長崎県立国見高等学校へ社会化教諭として赴任。監督として同校サッカー部を率い、全国高等学校サッカー選手権大会優勝6回、全国高等学校総合体育大会サッカー競技大会優勝5回など輝かしい成績を残した。 1987年、長崎県県民栄誉賞受賞。 1993年、FIFA U-17世界選手権のU-17日本代表チームの監督を務め、FIFA主催の世界大会で、日本初のベスト8進出を果たした。この時のメンバーには中田英寿、宮本恒靖、松田直樹らがいる。 1996年、JFA公認S級コーチライセンスを取得。 1997年に長崎県立国見高等学校教頭、2000年に同校校長に就任。校長就任にあたり、サッカー部総監督となる。2006年3月に国見高校を定年退職。 2007年、同郷の久間章生の推薦により、夏の第21回参議院議員通常選挙において自民党公認で出馬するも落選。出馬に先立ち、国見高校サッカー部総監督、長崎県教育委員会参与などの役職を辞任していた。 (引用元 Hatena Keyword)

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