生年月日データベース

渋沢栄一しぶさわえいいち

幕臣、実業家、子爵[日本]

(日本資本主義の父、天保11年2月13日生)

1840年 3月16日

1931年 11月11日 死去享年92歳
渋沢栄一 - ウィキペディアより引用

渋沢 栄一(しぶさわ えいいち、旧字体:澁澤 榮一、1840年3月16日〈天保11年2月13日〉- 1931年〈昭和6年〉11月11日)は、日本の実業家。
位階勲等爵位は正二位勲一等子爵。
雅号は青淵(せいえん)。
江戸時代末期に農民(名主身分)から武士(一橋家家臣)に取り立てられ、のちに主君・徳川慶喜の将軍就任にともない幕臣となり、明治政府では官僚も務めた。
民部省を経て直属の上司である大蔵大輔と井上馨の下で大蔵少輔、吉田清成らと共に造幣、戸籍、出納など様々な政策立案を行い、初代紙幣頭、次いで大蔵省三等官の大蔵少輔事務取扱となる。
井上馨と共に退官後は実業界に転じ、第一国立銀行(現・みずほ銀行)や東京商法会議所(現・東京商工会議所)、東京証券取引所といった多種多様な会社や経済団体の設立・経営に関わった。
そのうち企業は約500社 にもおよび、「日本資本主義の父」 と称され、実業家の肥田理吉(肥田琢司の弟)らと日本経済の在り方を論じた。
同時に東京養育院等の福祉事業、東京慈恵会、聖路加国際病院等の医療事業、東京大学文学部新聞研究室(現:東京大学大学院情報学環教育部)、商法講習所(現:一橋大学)、大倉商業学校(現:東京経済大学)、高千穂高等商業学校(現:高千穂大学)等の実業教育、東京女学館などの女子教育、台湾協会学校(現:拓殖大学)の設立、二松學舍(現:二松学舎大学)第3代舎長就任等による私学教育支援や、理化学研究所 ……

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