里村龍一さとむらりゅういち
作詞家[日本]
1949年 2月20日 生
2021年 10月5日 死去アルコール性肝硬変享年73歳
里村 龍一(さとむら りゅういち、本名・鈴木政市、1949年2月20日 - 2021年10月5日)は、日本の作詞家、実業家。
北海道釧路市出身。
人物=
中学校を卒業後は漁師をしていたが、たまたま船で見た週刊誌の「森進一の新曲歌詞募集」に応募して優勝。
その後、作曲家の猪俣公章にスカウトされて1976年に上京、猪俣に師事する。
2003年4月、演歌・歌謡曲専門のレコード会社・ウィングジャパンを設立、設立以後はオーナーとして活動した。
2011年、地元釧路市の厳島神社近くに事務所兼自宅を建設。
2012年から2013年の2年間、日本作詩家協会会長を務めた。
2021年10月5日、アルコール性肝硬変のため東京都内の自宅で死去。
72歳没。
エピソード=
もともと作詞家になるつもりはなかったが、パチンコ屋で当時よく流れていた演歌を聴いて詞の書き方を覚えていた。
先述した、森の新曲歌詞募集で優勝して猪俣にスカウトされた際、家族、特に魚卸売業をしていた父からは反対されただけでなく、ウソツキとまで言われたという。
主な作詞作品=
シングル表題曲は太字表記
あ行=
秋庭豊とアローナイツ
港町挽歌(1988年)
酒場おんな町(1988年)
最後にもう一度(1989年)
おもかげ挽歌(1989年)
旅詩(1992年)
酒場の雨(1992年)
石原詢子
明日坂(1996年)
人恋しぐれ(1998年)
みれん酒(1999年)
きずな酒(2002年)
おんなの春(2002年)
ふたり傘(2003年)
ほたるのふる里(2003年)
詢子のソーラン祭り(2003年 ……
里村龍一さんが誕生してから、75年と338日が経過しました。(27732日)
亡くなってから、3年と111日が経ちました。(1207日)
26525日間 生きました。