千原しのぶちはらしのぶ
女優[日本]
1931年 1月16日 生
2009年 11月22日 死去肺がん享年79歳
千原 しのぶ(ちはら しのぶ、1931年1月16日 - 2009年11月22日)は、日本の女優。
本名、石原知子(いしはら ともこ)。
岡山県久米郡久米町(現・津山市)出身。
来歴・人物=
父は中日新聞の前身・新愛知の記者で、父の転勤に伴い、小学校は石川県金沢市、福井県敦賀市、長野県松本市と3度転校した。
岡山県美作高等学校に進学し、将来は日舞で身を立てようと考えていたが、同校卒業後、フルーツパーラーでアルバイトをしながら日舞の稽古に励んでいたある日、父が親交のあった片岡千恵蔵に会い、片岡の推薦で1952年、東映に入社。
千恵蔵のお声がかりという看板はあまりの効き目で、ズブの素人だったにもかかわらず、次々にお呼びがかかった。
千恵蔵主演の『忠治旅日記・逢初道中』でデビュー。
ちょうど時代劇の黎明期にあたり、アッという間に東映時代劇に欠かせぬ女優となる。
月形龍之介、東千代之介、大川橋蔵らの相手役もつとめた。
東映の「お姫様女優」の一人として活躍。
町娘、武家娘、ヤクザの娘、女房、芸者、鳥追いと時代劇のあらゆる役柄を演じながら、細面に古風な美貌の持ち主の千原は、着実に演技力も身に着けてゆく。
1953年『大菩薩峠 甲賀一刀』に披擢され、シリーズに出演。
1954年 - 1956年まで60本の映画に出演する。
1957年の『暴れん坊街道』では飯盛女に扮し、つかの間の愛に燃え尽くす女の情炎を演じきり、『仇討崇禅寺馬場』でも、男を殺してともに ……
千原しのぶさんが誕生してから、94年と281日が経過しました。(34615日)
亡くなってから、15年と336日が経ちました。(5815日)
28800日間 生きました。



