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上杉景勝うえすぎかげかつ

戦国大名、米沢藩初代藩主[日本]

(弘治元年11月27日生)

(ユリウス暦) 1556年 1月8日

1623年 4月19日 死去享年69歳
上杉景勝 - ウィキペディアより引用

上杉 景勝(うえすぎ かげかつ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。
豊臣政権の五大老の一人。
出羽米沢藩初代藩主。
上杉謙信を家祖とする米沢上杉家2代目で、上杉宗家(重房を初代として)17代目。
本姓は平氏、後に藤原氏、豊臣氏を経て藤原氏となる。
家系は桓武平氏の血を引く長尾氏の生まれで、叔父・上杉謙信の養子となり上杉氏となる。
生涯 出生から家督争いまで 弘治元年(1555年)、越後国魚沼郡上田庄(現・新潟県南魚沼市)の坂戸城下に上田長尾家当主・長尾政景の次男として生まれる。
生母は上杉輝虎(謙信)の実姉・仙桃院。
輝虎の甥に当たる。
長兄が早世したので世子となるが、永禄7年(1564年)の父・政景の溺死を受け、春日山城(現・新潟県上越市)に入って叔父・謙信の養子となった。
永禄9年(1566年)に行われた謙信の関東出兵が初陣であると言われている。
以降、景勝は上田衆を率いて越中の将・椎名康胤の取成や謙信旗本の吉江資堅の軍役を定めるなど、謙信政権下で重要な役割を担っていく。

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うえすぎかげかつ [生]弘治1(1555)[没]元和9(1623).3.2.米沢安土桃山,江戸時代初期の大名。初名は顕景,のち喜平次,弾正少弼と称する。父は長尾越前守政景。叔父上杉謙信の養子となる。謙信没後の天正6(1578)年景虎(謙信の養子)を打倒して謙信の遺領を継承。同9年以後織田信長の攻撃を受けたが,本能寺の変後は豊臣秀吉に帰参。小田原征伐,朝鮮出兵に従う。文禄3(94)年従三位,中納言。大老の列に加わり,慶長3(98)年会津120万石を領する。秀吉死後徳川家康と対立。関ヶ原の戦い後家康にくだり,米沢30万石に減封。大坂の陣には徳川方に加わった。 (引用元 コトバンク)

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