生年月日データベース

日蓮にちれん

侶、日蓮宗宗祖[日本]

(貞応元年2月16日生)

(ユリウス暦) 1222年 3月30日

(ユリウス暦) 1282年 11月14日 死去享年61歳
日蓮の名言
わざわいは口より出でて身をやぶる、さいわいは心よりいでて我をかざる
(訳)災いは自分の口から出て、自分の身を破る。幸福は、自分の心から出て、自分を飾る。
日蓮 - ウィキペディアより引用

日蓮(にちれん、承久4年(1222年)2月16日 - 弘安5年(1282年)10月13日)は、鎌倉時代の仏教の僧。
鎌倉仏教のひとつである日蓮宗(法華宗)の宗祖。
概要= 文応元年(1260年)7月16日に「立正安国論」を鎌倉幕府に提出して国主諫暁を行う。
立正安国論において数多くの経典を引用し、悪法に帰依した日本から日本を守護する天照大神、八幡大菩薩等の諸天善神が去り、代わりに悪鬼が入り、自界叛逆難(内乱)と他国侵逼難(他国からの侵略)により日本は滅亡すると予言した。
天照大神、八幡大菩薩等は正法によってその威光勢力を増すとし、正法を建てるよう進言した。
立正安国論の内容は、国内外の状況を鑑み、経典を根拠としたものと考えられる。
(日蓮の時代はモンゴル帝国が各方面に侵攻し、モンゴル・南宋戦争、モンゴルの高麗侵攻など日本の隣国を繰り返し侵略し、前年の正元元年(1259年)には高麗が降伏していた時期であり、日蓮も南宋出身の蘭渓道隆等の渡来僧と交流もあり、民間でも貿易船等の交流もあった。
国内の内乱も多く発生していた。
国内の宗教対立を扇動し武装を強化する過激な日蓮は、元寇に対処するために貴族、武士、僧、神社、庶民の一致団結を掲げる幕府に危険視された。
『難を忍び慈悲のすぐれたる事は をそれをも(恐れをも)いだきぬべし』(開目抄)『日蓮が慈悲広大ならば(中略)万年の外未来までもながるべし』(報恩抄)等、その教えは理屈より ……

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