生年月日データベース

三笑亭夢楽さんしょうていむらく

落語家[日本]

1925年 1月5日 生 (満94歳)

三笑亭 夢楽(さんしょうてい むらく、1925年〈大正14年〉1月5日 - 2005年〈平成17年〉10月28日)は、岐阜県岐阜市出身の落語家。
生前は落語芸術協会に所属。
本名、渋谷 滉(しぶや ひろし)。
出囃子は『筑摩祭』。
錦城商業学校卒業。
幼少時代に馬賊に憧れていたことから、1942年より単身中国北京へ移住。
敗戦後帰国し、農林省開拓局に入局。
永井荷風を通じて正岡容を知り、その紹介で、1949年3月に5代目古今亭今輔に入門する。
前座名は「今夫」。
しかし、当の本人は新作落語、古典落語の概念をあまり知らずとりあえず今輔から提供を受けた新作の台本をやっていたが、ある日柳家金語楼から渡された新作の台本を「八っつぁん」「熊さん」に書き換えたことで今輔から叱責され古典路線の道に転向、1951年4月に新作中心の今輔門下から8代目三笑亭可楽門下へ円満移籍。

映像作品

関連書籍

音楽作品

DMMメディア

さんしょうていむらく(1777―1831) 江戸後期の落語家。初代。本名里見晋兵衛(しんべえ)。江戸・麻布(あざぶ)一口坂出身。質屋に奉公したが浄瑠璃(じょうるり)を好んで豊竹(とよたけ)宮戸太夫の門に入り、登志太夫と名のった。1803年(享和3)初代三笑亭可楽(からく)に入門し、流俗亭玖蝶(きゅうちょう)から三笑亭夢楽となった。人情噺(ばなし)を得意とし、自作自演で人気を獲得した。1809年(文化6)かってに夢楽を夢羅久と改めたため師可楽の怒りに触れ、朝寝坊夢羅久または朝寝坊むらくとした。のち烏亭焉馬(うていえんば)の門人となり笑語楼夢羅久と改名。長物語人情噺の祖といわれる。この朝寝坊むらくの名は9代目まで続いたが、大阪出身で3代三遊亭円馬を襲名した7代むらくがもっとも優れ、明治末から大正初めに東京で活躍した。なお、三笑亭夢楽の名は昭和になって復活し、本名渋谷滉(ひろし)(1925―2005)が三笑亭可楽門から出て二つ目で2代目を襲名、1958年(昭和33)真打(しんうち)に昇進した。[関山和夫][参照項目]|烏亭焉馬|三笑亭可楽|落語 (引用元 コトバンク)

連想語句
  • 弟子
  • 落語
  • 中国
  • 出囃子
  • 北京
  • 協会
  • 学校
  • 岐阜市
  • 岐阜県
  • 永井荷風
  • 演目
  • 由来
  • 直弟子
  • 芸名
  • 芸術
  • 落語家
  • 農林省
  • 錦城
  • 馬賊
  • しぶや
  • ひろし
  • 入局
  • 出身
  • 卒業
  • 単身
  • 商業
  • 学園
  • 帰国
  • 幼少
  • 所属
  • 敗戦
  • 時代
  • 本名
  • 正岡容
  • 渋谷
  • 生前
  • 移住
  • 筑摩
  • 開拓
  • 高等