生年月日データベース

足利基氏あしかがもとうじ

武将、初代鎌倉公方[日本]

(足利尊氏の四男、興国元年3月5日生)

(ユリウス暦) 1340年 4月2日

足利基氏 - ウィキペディアより引用

あしかがもとうじ [生]興国1=暦応3(1340)[没]正平22=貞治6(1367).4.26.鎌倉南北朝時代の武将。初代鎌倉公方(1349~67)。尊氏の3男(『尊卑分脈』では次男)で,通称は鎌倉三郎。母は北条(赤橋)登子。室町幕府創設以来,鎌倉には尊氏の子義詮がいて,関東の経営にあたっていたが,尊氏とその弟直義との抗争が起ったため,正平4=貞和5(1349)年,尊氏の命令で義詮は京都に上り,代って基氏が鎌倉に下された。執事上杉憲顕と高師冬の補佐を受け,正平6=観応2(51)年判始,翌年元服,左馬頭となる。正平14=延文4(59)年左兵衛督,正平19=貞治3(64)年従三位。この間,正平13=延文3(1358)年南朝方新田義興を滅ぼし,正平16=康安1(61)年には,専横化した家臣畠山国清を伊豆に攻めて,翌年これを下した。正平18=貞治2(63)年には,信頼する上杉憲顕を迎えて関東管領とし,次いで下野の名族宇都宮氏綱を討つなど,関東平定に力を注ぎ,鎌倉府の基礎を固めた。以後鎌倉府の首長は,基氏の子孫が世襲。遺命により鎌倉の瑞泉寺に葬る。法号は瑞泉寺玉厳道昕。 (引用元 コトバンク)

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