高山清司たかやまきよし
ヤクザ、六代目山口組若頭、二代目弘道会会長[日本]
1947年 9月5日 生 (満77歳)
髙山 清司(たかやま きよし、1947年〈昭和22年〉9月5日 - )は、日本のヤクザ。
特定抗争指定暴力団・六代目山口組若頭と三代目弘道会総裁を兼務する。
六代目山口組第二の有力者と目される人物で、警察庁の報告書は、僅か26年という短期間で弘道会という組織を4,000名の人員を擁するまでに強化した張本人(中心人物)と名指した。
六代目山口組組長・司忍が銃刀法違反の罪で服役していた時期(2005年 - 2011年)には、山口組の「事実上の最高指導者」とされていた。
来歴=
生い立ち=
1947年(昭和22年)に愛知県津島市で生まれる。
少年時代は野球に打ち込んでいた。
しかし、高校時代に野球ボールを顔面に受け、右瞼の神経と筋を切るケガを負う。
これがもとで瞼が常に垂れ下がる状態となり、現在の片目を瞑る容貌となった。
その後、喧嘩沙汰を起こし高校を中退する。
暴力団への加入=
1967年(昭和42年)、20歳で山口組系弘田組傘下の佐々木組に加入する。
1969年(昭和44年)に弘田組と独立組織・大日本平和会との間で、組員の移籍に関するトラブルが生じる。
すぐさま件の組員の移籍先である弘田組系神谷組が襲撃を受け、死傷者を出す事態に発展した。
この報復に動いたのは、髙山の所属する佐々木組と司興業であり、司興業組長・司忍の指揮のもと髙山は、大日本平和会系豊山一家組長・豊山王植の殺害に関与する。
事件後、懲役4年の判決を受けた。
出所後に佐々 ……
高山清司さんが誕生してから、77年と80日が経過しました。(28204日)