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紙恭輔かみきょうすけ

ジャズミュージシャン作曲家[日本]

1902年 9月3日

1981年 3月24日 死去享年80歳

紙 恭輔(かみ きょうすけ、1902年9月3日 - 1981年3月24日)は、日本初の本格的ジャズプレーヤーHotwax 日本の映画とロックと歌謡曲 vol.8、シンコーミュージック・エンタテイメント、2007年9月、132頁相澤秀禎、人生に拍手を、講談社、2007年11月、143頁。
作曲家、指揮者。
日本のジャズ・軽音楽・映画音楽の草分け。
広島県広島市大手町(現在の同市中区 (広島市) 中区大手町 (広島市) 大手町)生まれ。

広島高等師範附属中学(現在の広島大学附属中学校・高等学校 広島大学附属高校)から、第五高等学校 (旧制) 第五高等学校を経て東京大学 東京帝国大学法学部に進む。
中学時代14、15歳から目黒シネマ 目黒キネマ(映画館)で、当時ナンバーワン・オーケストラだった波多野オーケストラ(ハタノ・オーケストラ)のメンバー(楽士)、主にベース (弦楽器) ベース奏者として無声映画の伴奏を行った。
当時は浅草帝国館(現在の浅草ROX)や新宿武蔵野館、銀座金春館など各映画館にオーケストラがあり、紙のいた目黒キネマの大将は徳川夢声だったという。
無声映画の伴奏は、洋画の場合は外国から輸入した楽譜 楽譜アルバムをメドレーのように演奏。
邦画の場合は和洋合奏で「さくらさくら さくら」や「お江戸日本橋」などを斉唱 ユニゾンで揃えて演奏した。
つまり映画館の中でオーケストラが映画の進行に合わせ、既成曲をメドレーのように演奏し、伴奏するのがこの時代の映画の音楽であった日本の映画音楽史、秋山邦晴、38頁-41頁 こうした無声映画時代の映画館の楽士は、トーキーの出現によって、活弁士と共に失業。
世界中の映画館で働いていた音楽家の1/3が失業したといわれる。


■ 音楽作品

かみ-きょうすけ 1902-1981昭和時代の作曲家,指揮者。明治35年9月3日生まれ。山田耕筰(こうさく)に師事,日本交響楽団にはいる。アメリカ留学後,PCL映画製作所(東宝の前身)音楽部長となり,ガーシュインの作品を日本に紹介。戦後,進駐軍専用のアーニー-パイル劇場(のちの東京宝塚劇場)楽団指揮者。ジャズの分野で活躍した。昭和56年3月24日死去。78歳。広島県出身。東京帝大卒。作品に交響組曲「ボルネオ」など。 (引用元 コトバンク)

連想語句
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