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大久保彦左衛門おおくぼひこざえもん

戦国武将、旗本[日本]

(諱・忠教、永禄3年生)

1560年

1639年 4月2日 死去享年79歳
大久保彦左衛門 - ウィキペディアより引用

『大久保忠教』より : 大久保 忠教(おおくぼ ただたか)は、戦国時代から江戸時代前期の武将。
江戸幕府旗本。
徳川氏家臣・大久保忠員の八男。
通称の彦左衛門で有名。
幼名は平助。
一時忠雄とも名乗った。
兄に大久保忠世、大久保忠佐、大久保忠為ら。
子に大久保忠名、大久保包教、大久保政雄らがいる。
妻は馬場信成の娘。
『三河物語』の著者としても知られる。
生涯 永禄3年(1560年)、三河国上和田(愛知県岡崎市)に誕生。
徳川氏に仕え、17歳のときに兄・忠世と供に遠江平定戦に参加。
犬居城での合戦が初陣という。
以後、忠世や忠佐らの旗下で各地を転戦し、高天神城攻めで岡部元信を討ち、天正13年(1585年)の第一次上田城の戦いでは全軍が真田昌幸の采配に翻弄される中、兄らと奮戦した。
天正18年(1590年)、小田原征伐の後、主君・徳川家康が江戸に移封され、兄・忠世およびその子で甥忠隣が相模国小田原城主に任じられると3000石を与えられる。
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いでは 秀忠の軍に同行し第2次上田城攻めに加わった。
このころ、次兄の忠佐は駿河国沼津城主となって2万石を領していたが忠佐の嫡子・忠兼が早世してしまったため、弟の忠教を養子として迎えて後を継がせようとしていた。

■ 関連書籍

徳川家康に仕えた武将で江戸幕府初期の旗本、大久保忠教の通称。 講談などにはこの名前で登場し、齢十六にして長篠の戦いの前哨戦の鳶ノ巣攻めで敵将和田兵部を討ち取るという初陣を飾って*1以降、大阪の陣までの家康の主要な合戦にことごとく参加*2、江戸に移ってからはたらいに乗って登城したり*3、魚屋の一心太助の相方として天下のご意見番として活躍した*4ということになっている。 *1:フィクションです *2:これは事実 *3:フィクションです *4:フィクションです (引用元 Hatena Keyword)

連想語句
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