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板倉勝重いたくらかつしげ

戦国武将、京都所司代[日本]

(天文14年生)

1545年

1624年 6月14日 死去享年80歳
板倉勝重 - ウィキペディアより引用

板倉 勝重(いたくら かつしげ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての旗本、大名。
江戸町奉行、京都所司代。
板倉家宗家初代。
史料では官位を冠した板倉伊賀守の名で多く残っている。
優れた手腕と柔軟な判断で多くの事件、訴訟を裁定し、敗訴した者すら納得させるほどの理に適った裁きで名奉行と言えば誰もが勝重を連想した。
板倉好重の次男として三河国額田郡小美村(現在の愛知県岡崎市小美町)に生まれる。
幼少時に出家して浄土真宗の永安寺の僧となった。
ところが永禄4年(1561年)に父の好重が深溝松平家の松平好景に仕えて善明提の戦いで戦死、さらに家督を継いだ弟の定重も天正9年(1581年)に高天神城の戦いで戦死したため、徳川家康の命で家督を相続した。
その後は主に施政面に従事し、天正14年(1586年)には家康が浜松より駿府へ移った際には駿府町奉行、同18年(1590年)に家康が関東へ移封されると、武蔵国新座郡・豊島郡で1,000石を給され、関東代官、江戸町奉行となる。

■ 関連書籍

いたくらかつしげ [生]天文14(1545).三河,額田[没]寛永1(1624).4.29.京都江戸時代初頭の幕臣。伊賀守。幼少の頃は僧であったが,肉親の戦死のため還俗して家を継いだ。天正14(1586)年,徳川家康が駿府に入ってから駿府町奉行を命じられ,治績を認められて関東入部に際しては江戸町奉行になり,関東代官を兼ねた。また慶長6(1601)年には京都町奉行,さらに京都所司代に起用され,約20年間その職をつとめた。裁判におけるその裁量にはみるべきものがあり,京都の人心を徳川氏にひきつけるのに役立った。その間,金地院崇伝とともに寺社関係の仕事も行い,家康の信頼は非常に高かった。同8年伊賀守,元和6(20)年辞職。 (引用元 コトバンク)

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