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本多忠勝ほんだただかつ

戦国武将、上総大多喜藩・伊勢桑名藩 初代藩主[日本]

(徳川四天王のひとり、天文17年2月8日生)

(ユリウス暦) 1548年 3月17日

1610年 12月3日 死去享年63歳
本多忠勝 - ウィキペディアより引用

本多 忠勝(ほんだ ただかつ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。
徳川氏の家臣。
上総大多喜藩初代藩主、伊勢桑名藩初代藩主。
忠勝系本多家宗家初代。
本姓は藤原氏。
徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑に数えられ、家康の功臣として現在も顕彰されている。
兜は、鹿角脇立黒漆塗兜。
生涯 出生・初陣と初首 天文17年(1548年)、安祥松平家(徳川本家)の最古参の安祥譜代の本多氏で、本多忠高の長男として、三河国額田郡蔵前(愛知県岡崎市西蔵前町)で生まれた。
天文18年(1549年)、父・忠高が戦死し、叔父・忠真のもとで育った。
幼い頃から徳川家康に仕え、永禄3年(1560年)13歳の時に桶狭間の戦いの前哨戦である大高城兵糧入れで初陣する。
このとき、同時に元服した。
初首は14歳の時で、鳥屋根城攻めで忠真の部隊に属し、この時忠真が槍で敵兵を刺しながら忠勝を招き、「この首を取って戦功にしろ」と言ったが、忠勝は「我何ぞ人の力を借りて、以て武功を立てんや」と言って自ら敵陣に駆け入り敵の首を挙げたので、忠真をはじめとする諸将は忠勝を只者ではないと感じ入った。

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■ 関連書籍

戦国武将(1548年〜1610年)。本多平八郎。幼名鍋之助。 徳川家臣。徳川四天王*1。徳川十六神将。伊勢桑名藩祖。 13歳の時の初陣(大高城兵粮入れ)から関ヶ原の戦いまで、生涯57度の戦いにおいて傷一つ負わなかったといわれる猛将。 蜻蛉切(とんぼきり)と呼ばれる槍と、鹿角脇立兜(かづのわきだてかぶと)がトレードマーク。 父は本多忠高。子に稲姫(真田信之室)、本多忠政、本多忠朝らがある。 (引用元 Hatena Keyword)

連想語句
  • 徳川
  • 四天王
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  • 上総
  • 伊勢
  • 出生
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  • 武勇
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