生年月日データベース

織田信長おだのぶなが

戦国大名[日本]

(天文3年生)

(グレゴリオ暦) 1534年

(グレゴリオ暦) 1582年 7月1日 死去自刃享年49歳
織田信長 - ウィキペディアより引用

織田 信長(おだ のぶなが)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。
三英傑の一人。
尾張国(現在の愛知県)の古渡城主・織田信秀の嫡男。
尾張守護代の織田氏の中でも庶流・弾正忠家の生まれであったが、父の代から主家の清洲織田氏(織田大和守家)や尾張守護の斯波氏をも凌ぐ力をつけ、家督争いの混乱を収めて尾張を統一し、桶狭間の戦いで今川義元を討ち取ると、婚姻による同盟策などを駆使しながら領土を拡大した。
足利義昭を奉じて上洛すると、将軍、次いでは天皇の権威を利用して天下に号令。
後には義昭を追放して室町幕府を事実上滅ぼし、畿内を中心に強力な中央集権的政権(織田政権)を確立して天下人となった。
これによって他の有力な大名を抑えて戦国乱世の終焉に道筋をつけた。
しかし天正10年6月2日(1582年6月21日)、重臣・明智光秀に謀反を起こされ、本能寺で自害した。
すでに家督を譲っていた嫡男・織田信忠も同日に二条城で没し、信長の政権は、豊臣秀吉による豊臣政権、徳川家康が開いた江戸幕府へと引き継がれていくことになる。

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室町後期の戦国大名。尾張生。信秀の子。幼名は吉法師・三郎、官名は上総介。今川義元、ついで美濃の斎藤氏を滅ぼしたのち、足利義昭を擁して上洛、浅井・朝倉氏およびこれと結ぶ比叡山を撃破、のち義昭を追放して室町幕府を滅ぼした。さらに武田勝頼を破り、石山本願寺と和議を結び、毛利氏征討を進めたが、明智光秀に本能寺の変で攻められ、全国統一の業半ばで倒れた。安土城を築き、また関所の撤廃・楽市楽座・検地等の革新政策を行なった。天正10年(1582)歿、49才。 (引用元 コトバンク)

連想語句
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