生年月日データベース

一遍いっぺん

侶、時宗開祖[日本]

(延応元年2月15日生)

(ユリウス暦) 1239年 3月21日

(ユリウス暦) 1289年 9月9日 死去享年51歳
一遍 - ウィキペディアより引用

一遍(いっぺん)は鎌倉時代中期の僧侶。
時宗の開祖。
「一遍」は房号で、法諱は「智真」。
一は一如、遍は遍満、一遍とは「一にして、しかも遍く(あまねく)」の義であり、南無阿弥陀仏を一遍(一度、一回)唱えるだけで悟りが証されるという教義であり、智は「悟りの智慧」、真は「御仏が示す真(まこと)」を表す。
「一遍上人」、「遊行上人(ゆぎょうしょうにん)」、「捨聖(すてひじり)」と尊称される。
近代における私諡号は「円照大師」、1940年に国家より「証誠大師」号を贈られた。
俗名は河野時氏[1]とも、通秀とも、通尚ともいうが、定かでない。
古来日本では、人の名をむやみに呼ぶべきではなく、人に知らせるものではない、ましてや実名では呼ぶべきではないという慣習が存在したことが原因と考えられる。
延応元年(1239年)伊予国(ほぼ現在の愛媛県)久米郡の豪族、別府通広(出家して如仏)の第2子として生まれる。
幼名は松寿丸。
生まれたのは愛媛県松山市道後温泉の奥谷である宝厳寺の一角といわれ、元弘4年(1334年)に同族得能通綱によって「一遍上人御誕生舊跡」の石碑が建てられている。

■ 関連書籍

■ 音楽作品

いっぺん [生]延応1(1239).2.15.伊予[没]正応2(1289).8.23.播磨鎌倉時代の僧。時宗の開祖。10歳で母に死別し,その後天台を学び,13歳で九州の法然の浄土教の流れである西山派の聖達に師事。36歳のとき(1274),四天王寺,高野山に詣で,熊野で熊野本宮証誠殿に参籠していたところ,「信,不信をえらばず,浄,不浄をきらはず,その札をくばるべし」という啓示を受け,念仏の札を配る念仏賦算の時宗が成立した。以後,13歳のとき改名した智真を一遍と改め,念仏賦算のため,諸国遊行の旅に出た。遊行上人(ゆぎょうしょうにん)と呼ばれたゆえんである。一遍は,念仏の器には上,中,下の3種類があるといい,最も望ましい像は,妻子をもち家にありながら,しかもそれに執着しないで往生できるもの,それに対し,最も望ましくない形は,それまでの既成仏教のように,妻子も家も万事捨離した出家の形で往生すること,とした。ところで,一遍は妻子や家への執着から離れることができないので,万事を捨てて往生しようとした。ここに,理念のうえでは従来の価値観を逆にしたが,その実践では従来への復古となった。そこに,断食行とか入水往生などという古代仏教の復帰をみるのも当然の理といえる。死の2週間前頃,「一代聖教皆つきて,南無阿弥陀仏になりはてぬ」と述懐し,所持していたすべての書籍などを焼捨てた。そのため,一遍の著作は今日発見されていない。弟子たちの聞き書きである『播州法語集』『一遍聖絵』などによって,その思想を知るしかない。一遍の時宗はそののち,急速に全国に流布盛行したが,真宗の蓮如の段階で急速に衰えた。その理由 …… (引用元 コトバンク)

連想語句
  • 概要
  • 時宗
  • 大師
  • ゆかり
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  • 上人
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  • 成立
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