誕生日データベース

南部利義なんぶとしとも

陸奥盛岡藩主[日本]

(文政6年12月12日生)
1888年 8月21日 死去享年66歳
南部利義 - ウィキペディアより引用
南部 利義(なんぶ としとも、文政6年12月12日 (旧暦) 12月12日(1824年1月12日) - 明治21年(1888年)8月21日)は、陸奥国盛岡藩の13代藩主。
12代盛岡藩主南部利済の長男。
幼名は達次郎。
通称は鋌丸。
諱は謹保、信侯、利道、利義。
なお、藩主時代は『信侯』、『利道』であり、隠居後に利義と改名。

母は楢山隆翼の娘。
官位は四品、正四位、甲斐国 甲斐守。
正室は11代藩主南部利用 (大膳大夫) 南部利用(大膳大夫)の娘(井伊直亮の養女)。

傳役は安宅中務、花輪栄、戸沢駿河、横沢兵庫が担当。
天保6年(1835年)に四品に叙任される。

弘化4年(1847年)、三閉伊一揆により父の隠居により13代藩主に就任したが、世子時代に父の奢りを戒めて以降、仲が悪く、嘉永2年6月(1849年)に父の要求により弟・南部利剛に家督を譲り11月に隠居した。
この廃位に反対した東堂一堂一派は処分され、利済の院政がしばらく行われる。
さらに利済の重臣である田鎖左膳は利義毒殺を画策するも、これについては失敗する。
ちなみに嘉永2年10月に利道と改名。

連想語句
利済一揆利義嘉永天保藩主閉伊隠居三戸南方南部参勤交代家督左膳式部徳川家斉改名横沢兵庫江戸田鎖お目見えところ一堂世子中務交代以降元年処分利剛南部利剛反対叙任同年国許土佐圧力安宅実弟実父家中家老家臣対立専横将軍就任当主復権悪政戸沢担当時代期間東堂毒殺派遣甲斐守画策盛岡翌年花輪責任近習重臣院政養子駿河

↑ PAGE TOP