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近衛信尹

公家書家[日本]

(永禄8年11月1日生)

(ユリウス暦) 1565年 11月23日

1614年 12月25日 死去享年50歳
近衛信尹 - ウィキペディアより引用
近衛 信尹(このえ のぶただ、旧字:近衞信尹、永禄8年11月1日(1565年11月23日) - 慶長19年11月25日(1614年12月25日))は、安土桃山時代の公家。
近衛前久の子。
母は波多野惣七の娘。
初名、信基、信輔。
号は三藐院(さんみゃくいん)。
生涯 天正5年(1577年)に元服。
加冠の役をつとめたのが織田信長で、信長から一字を賜り信基と名乗る。
天正8年(1580年)に内大臣、天正13年(1585年)に左大臣となる。
関白の位をめぐり二条昭実と口論(関白相論)となり、菊亭晴季の蠢動で、豊臣秀吉に関白就任の口実を与えた。
秀吉が秀次に関白位を譲ったことに内心穏やかではなく、更に相論の原因を作り、一夜にして700年続いた摂関家の伝統を潰した人物として公家社会から孤立を深めた事に苦悩した信輔は、次第に「心の病」に悩まされるようになり、文禄元年(1592年)正月に左大臣を辞した。

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連想語句
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