生年月日データベース

帆足杏雨ほあしきょうう

文人画家[日本]

(文化7年4月15日生)

1810年 5月17日

1884年 6月9日 死去享年75歳
帆足杏雨 - ウィキペディアより引用

帆足杏雨(ほあし きょうう、文化7年4月15日(1810年5月17日) - 明治17年(1884年)6月9日)は、幕末から明治時代に活躍した文人画家である。
田能村竹田の高弟。
日本最後期の文人画家のひとり。
幼名は熊太郎のち庸平、諱は遠、字を致大、杏雨のほか鶴城・聴秋・半農などと号した。
豊後の人。
略伝 豊後国大分郡戸次村(現在の大分県大分市)の庄屋の四男として生まれる。
帆足家は江戸期を通じて臼杵藩戸次市組の大庄屋を務めた領内でも有数の豪農で、庄屋としての公務の傍ら造酒業で家産を成した。
父統度と長兄は俳諧をたしなみ書画の収蔵家で知られ、居宅に田能村竹田が度々出入していた。
杏雨はこのような芸文的な雰囲気の中で育ち、15歳の時に竹田の画塾竹田荘に入門。
経学は広瀬淡窓の咸宜園の門戸を叩き、帆足万里にも学んだ。
19歳のとき同門の高橋草坪と大坂に赴き、翌年には京都に上洛。
「富春館」を構え、師の田能村竹田のほか、頼山陽、篠崎小竹、浦上春琴らと交遊。
天保元年(1830年)、21歳のとき竹田に伴って豊前の雲華院大含を訪ねて墨竹図を指南された。

■ 関連書籍

  • タイトル
    帆足杏雨展図録 (1984年)
    著者
    帆足杏雨
    発売元
    大分県立芸術会館
    発売日
    1984-10
    新品価格
    より
    中古商品
    ¥ 5,750 より

「帆足杏雨」と関連する人物

連想語句
  • 略伝
  • 庄屋
  • 田能村
  • 竹田
  • 代表作
  • 俳諧
  • 出典
  • 刊行物
  • 大分市
  • 大分県
  • 大分郡
  • 幕末
  • 戸次
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