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徳川頼房とくがわよりふさ

常陸水戸藩初代藩主[日本]

(慶長8年8月10日生)

1603年 9月15日

1661年 8月23日 死去享年59歳
徳川頼房 - ウィキペディアより引用

徳川 頼房(とくがわ よりふさ)は、常陸水戸藩の初代藩主。
水戸徳川家の祖。
徳川家康の十一男。
生涯 1603年(慶長8年)、伏見城にて生まれる。
1606年(慶長11年)9月23日、3歳にして常陸下妻城10万石を、次いで1609年(慶長14年)12月12日、兄の頼将(頼宣)の駿河転封によって新たに常陸水戸城25万石を領したが、幼少のため駿府城の家康の許で育てられた。
水戸徳川家の石高は兄義直の尾張徳川家、頼宣の紀州徳川家の半分にも満たなかった。
その理由として「常陸水戸徳川家譜」は、家康が3人に欲しい物を聞いたところ頼房が「天下が欲しい」と答えたことから、乱を起こすおそれがあると家康に疎まれたことを挙げている。
また、『南紀徳川史』では頼房が徳川姓を許されたのは1636年(寛永13年)とし、それまでの33年間は「名字定まらず」としており、同母兄・頼宣の分家とみなされていたという説もある。
1610年(慶長15年)7月、家康の命により、実子市姫を亡くした英勝院(お梶の方)の養子となる。
1611年(慶長16年)には元服、頼宣と同様に清和源氏の通字の一つである「頼」の字を用いて頼房と名乗った。

慶長8年8月10日(1603年9月15日)〜寛文元年7月29日(1661年8月23日) 日本の江戸時代前期の大名。徳川家康の十一男。 下妻藩主から水戸藩主となった。また、水戸徳川家の祖である。時代劇の「水戸黄門」で有名な水戸藩2代藩主の徳川光圀は頼房の三男である。 (引用元 Hatena Keyword)

連想語句
  • 徳川家
  • 生涯
  • 慶長
  • 常陸
  • 水戸
  • エピソード
  • 下妻
  • 伏見城
  • 位階
  • 官職
  • 家康
  • 尾張
  • 履歴
  • 徳川
  • 水戸城
  • 石高
  • 系譜
  • 紀州
  • 義直
  • 関連
  • 頼宣
  • 駿府城
  • 駿河
  • ところ
  • 半分
  • 地面
  • 天下
  • 天下人
  • 天守閣
  • 家譜
  • 幼少
  • 徳川頼宣
  • 最高
  • 栄誉
  • 武士
  • 理由
  • 転封
  • 頼房