生年月日データベース

谷川健一たにがわけんいち

民俗学者、作家[日本]

1921年 7月28日

2013年 8月24日 死去享年93歳
谷川健一 - ウィキペディアより引用

谷川 健一(たにがわ けんいち、1921年7月28日 - 2013年8月24日)は、日本の民俗学者・地名学者・作家・歌人。
近畿大学教授・日本地名研究所所長等を歴任。
2007年文化功労者選出。
在野の学者として日本文学や民俗学の研究をおこない多くの研究書を著した。
日本文学の源流を沖縄・鹿児島などの謡にもとめた「南島文学発生論」などの業績をあげた。
経歴= 『太陽』1967年4月号の新聞広告 出生から修学期 1921年、熊本県水俣で六人兄弟の長男として生まれた。
熊本中学、浪速高等学校 (旧制)を経て、東京帝国大学文学部に進学。
しかし東京大学入学後、結核を患い、各地の療養所を転々とした。
大学ではフランス文学専攻で学び、卒業。
平凡社勤務時代 30歳を過ぎた頃より編集者として平凡社に勤務、『風土記日本』(1957-60年)、『日本残酷物語』(1959-61年)などを企画・編集し、1963年創刊の『太陽』初代編集長を務めた。
しかしながら結核が再発したことにより療養生活に入り、40代で退社。
作家として その後は執筆活動に重点を置き、1966年、初の著作で歴史小説『最後の攘夷党』が第55回直木賞候補になった。
1970年代には『青銅の神の足跡』や『鍛冶屋の母』などを発表。
民俗事象と文献資料に独自の分析を加え、柳田國男や折口信夫らの学問を批判的に展開し、多くの柳田・折口論考を記した。
1978年、「地名を守る会」を結成。
1981年、神奈川県川崎市に「日本地名研究所」 ……

谷川健一さんが誕生してから、103年と246日が経過しました。(37867日)
亡くなってから、11年と219日が経ちました。(4237日)
33630日間 生きました。

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