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間寛平はざまかんぺい

タレント[日本]

間 寛平(はざま かんぺい、1949年7月20日 - )は、日本のお笑いタレント、俳優、歌手。
レゲエシンガー活動名義および本名、間 重美(はざま しげみ)。
通称、寛平ちゃん、寛平兄さん。
身長164cm。
高知県宿毛市出身。
よしもとクリエイティブ・エージェンシー東京所属。
趣味はマラソン、ゴルフ、パチンコ、競馬、酒。
来歴・人物 私立柏原高等学校卒業。
既婚者。
1男1女の父。
ミュージシャンの間慎太郎は長男である。
娘は既に結婚し子供(孫)がいる。
妻の光代は吉本新喜劇の元座員。
師匠は花紀京。
吉本新喜劇のスターとして関西で絶大な人気を得た。
「アヘアヘアヘアヘ…」「ア〜メマ!」「かい〜の」などのギャグで有名。
エピソード 柏原高校時代は野球部に所属していた。
2011年の夏の高校野球で母校が初出場した時に、野球部OBとして、アルプススタンドで観戦した。
野球は筋金入りの南海ホークス好きで、南海ホークス時代から通じて、福岡ソフトバンクホークスファンでもある。

■ 関連映像作品

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間寛平 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内、 検索
間寛平 本名 間重美
(はざましげみ) ニックネーム 寛平ちゃん
寛平兄さん 生年月日 (1949-07-20)1949年7月20日(68歳) 出身地 日本・高知県宿毛市 血液型 AB型 身長 164cm 言語 日本語 方言 大阪弁 最終学歴 柏原高等学校卒業 師匠 花紀京 芸風 一発ギャグ 事務所 よしもとクリエイティブ・エージェンシー東京 活動時期 1968年- 同期 月亭八方
桂きん枝
林家小染(4代目)
桂文珍など 現在の代表番組 痛快!明石家電視台、探偵!ナイトスクープ 過去の代表番組 あっちこっち丁稚、マジカル頭脳パワー!! 他の活動 俳優
歌手(1975年-) 配偶者  既婚 親族 妻:間光代(旧姓上原、元吉本新喜劇座員)
長男:間慎太郎(ミュージシャン) 弟子 塩野一平(廃業)
シベリア文太
本田みずほなど 表示

間寛平(はざまかんぺい、1949年7月20日-)は、日本のお笑いタレント、俳優、歌手。レゲエシンガー活動名義および本名、間重美(はざましげみ)。通称、寛平ちゃん寛平兄さん。身長164cm。血液型はAB型[1]。

高知県宿毛市出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシー東京所属。趣味はマラソン、ゴルフ、パチンコ、競馬、酒。

目次

    1来歴・人物
      1.1エピソード 1.2略年譜 1.3弟子 1.4デビュー前から結婚まで 1.5東京進出 1.6借金・アメマバッジ関連 1.7マラソン・他のスポーツ関連 1.8アースマラソン 1.9忌野清志郎との関係
    2バラエティ番組でのエピソード 3主な持ちネタ・ギャグ 45出演
      5.1レギュラー番組 5.2映画 5.3劇場アニメ 5.4テレビドラマ 5.5過去の出演
        5.5.1レギュラー 5.5.2ゲスト・単発
      5.6舞台 5.7ゲーム 5.8コマーシャル
    6脚注
      6.1注釈 6.2出典
    7参考文献 8外部リンク

来歴・人物[編集]

私立柏原高等学校卒業。既婚者。1男1女の父。ミュージシャンの間慎太郎は長男である。娘は既に結婚し子供(孫)がいる。妻の光代は吉本新喜劇の元座員。

師匠は花紀京。吉本新喜劇のスターとして関西で絶大な人気を得た。「アヘアヘアヘアヘ…」「ア〜メマ!」「かい〜の」などのギャグで有名。

エピソード[編集]

  • 柏原高校時代は野球部に所属していた。2011年の夏の高校野球で母校が初出場した時に、野球部OBとして、アルプススタンドで観戦した。
  • 野球は南海時代からの筋金入りのホークスファンである。現在でも年に数回福岡ヤフオク!ドームまで観戦に足を伸ばす。映画「ファンキー・モンキー・ティーチャー」シリーズで主人公(戸沢康平)の役を演じた時には、毎回福岡ダイエーホークスのウインドブレーカー(黒とオレンジが基調のホーム用)を着て登場していた。江本孟紀が南海ホークスにいた時代は共に本拠地である難波で豪遊していた。
  • 「寛平」の芸名の由来は、カンペをチラ見してしまうことに由来[要出典]。当初は「貫平」だったが、尊敬する喜劇役者・藤山寛美にあやかって字を変更した[2]。それ以前、「ふんどししめお」「はまぐり寛平」という芸名の時期もあった[3]。
  • 新喜劇の舞台で、先輩芸人の由利謙のギャグ「われこ、われこ(「これは、これは」の言い換え)」に付き合いでズッこけたものの、その後「なんや、その“われこ、われこ”ってギャグは?」「古いわぁ。なんやねん“われこ、われこ”って…」と客前の本番中に延々とギャグのダメ出しをし、由利謙が徐々に怒り始める様子が『吉本新喜劇ギャグ100連発』で見ることができる。由利は舞台が終わった後も怒りまくっていたという。
  • 無類のビール好き。1回に500mlのビール10缶を飲み干したことがある。
  • 寒さが大の苦手。
  • 母親と顔がそっくりである。ただし、本人は性格も含めて実の父親に似ているなと、ファミリーヒストリーで実父の過去の調査結果を聞いた時に語っている。
  • 2006年2月24日に長女が初孫を出産。56歳にして名実共に「おじいちゃん」(祖父)となった。「ついにおじいちゃんになりましたが、いくつになっても甘えまくります!」とのコメントを発した。
  • 人柄が良く、芸人仲間や後輩からも信頼される。明石家さんま、島田紳助、村上ショージ、ダウンタウン、雨上がり決死隊も今もって若手の頃に良くしてもらったことを感謝している。特にさんまは当時大忙しだったにもかかわらず、寛平がスパルタスロンマラソンを走る番組で、「兄さんのためなら」と付き添いのために(さんまの付き添いは、プロデューサーが番組制作の条件として出されたものであった)、無理やり10日間スケジュールを開けたことがある。また『マジカル頭脳パワー!!』で共演した所ジョージや千堂あきほなどからも信頼されている。
  • 持ちネタは古いものでは何十年も同じものを使い続けており、ネタをしても滑るのが慣例となっている。
  • 脳内出血に倒れ、今もリハビリを続けているかつての同僚・木村進とその家族へのさまざまな支援を行っている。
  • 近年は、志村けんと同じくコメンテーターとしての活動が多い。これには、チャリティーマラソンなど、志村の素が出ている場面がよくテレビで流れているためという見方もある。
  • 大阪なんば・NGK近辺の食堂から出前を取るときなども、電話で「アヘです〜」と言うだけで通じてしまう。同様に、後輩芸人に電話する際にも「アヘ坊やけど〜」で誰かが分かってしまう。
  • 植木等のモノマネが得意。「新堂本兄弟」で披露した事がある。
  • わらび餅好き。家にいる時は必ず妻が、午後8時半に珈琲と共に出すので食べている。2013年9月25日放送の「ライオンのごきげんよう」で「一年の内300日は食べてます」と語り、さらに「妻が9時からドラマやサスペンスを見ているけど、僕がいたら「こいつが犯人やと思う」とか一々うるさいので9時には寝るように言われていて、わらび餅はもうすぐ寝ろと言う合図」とも語っている。

略年譜[編集]

  • 1949年7月20日、愛媛県との県境にある高知県宿毛市橋上町出井の出身。間の姓は母の再婚相手の姓であり、実父の姓は岡村。実父は寛平が生まれる直前に23歳の若さで結核で亡くなっている。岡村家は応仁の乱から逃げ延びた一条家の家老か何かだったと本家では伝えられており、長らく地元の庄屋をしていたが、明治の頃に一族の一人の放蕩が原因で寛平の実父が生まれた時には集落で一番貧乏になっていた。実父は分家筋の出身だが、彼の家は木材の切り出しなどで糊口を凌ぐなど一族全部が困窮を極める有様で育ったため、15歳で地元の営林署の木材切り出し人の給与算出係をし、太平洋戦争の終戦間際に海軍の兵卒に志願する(シゴキと結核に倒れて終戦は入院先の病院で迎えた)という苦労を重ねていた。実父と母の馴れ初めは戦後間もなく地元の青年会の演劇サークルであった。寛平が4歳の時に近所の人の紹介で母は木材の切り出しをしていた男性と再婚し、一家で宇和島市に転居。
  • 木炭の需要減少で林業では食べていけなくなり、12歳の時に大阪市住之江区に引越した。この頃、亡き実父の存在を知る。[4]
  • 1968年-高校卒業後、石原裕次郎に憧れて上京。歌手を目指すが、挫折して大阪に戻り、様々な職を転々とし社会人も経験[5]。
  • 1969年-岡八朗らが出演していたラジオの公開収録で岡と知り合い、岡が当時所属していた千土地興行の千日劇場に出入りするようになる。千日劇場の閉鎖後、トップホットシアターを紹介され、最初鳳啓助に弟子入り志願したが、既に弟子がいたために断られ、すっとんトリオに弟子入り。新世界のジャンジャン横丁にあった「温泉劇場」(ストリップ劇場)に入り、幕間コントに出演して修行を積む[5]。
  • 1970年-喫茶店でアルバイトをしていた時に、店主の日限萬里子の紹介により吉本興業に移籍、吉本新喜劇の研究生になり花紀京の付き人になる。同期に桂文珍らがいる[5]。
  • 1974年-木村進とのコンビで入団から4年、24歳にして吉本新喜劇の座長に昇格[5]。
    • 実質的には1973年10月より平参平班では平・木村、そして間の「三枚看板座長制」という形を採っており(ただし、正式にその班を統率し、脚本・演出内容にも強い発言力を有するという意味での座長には昇格していない)、平の座長勇退→専科入りを機に1974年4月より正式に木村とのコンビで座長へと正式昇格。そして1976年4月からは木村、寛平それぞれ別の班を統率することとなった。
  • 1975年-『ひらけ!チューリップ』で歌手デビュー[5]。100万枚のセールスを記録[6][5]。1976年には同じタイトルの日活ロマンポルノに主演するなど活躍した[5]。
  • 1978年-同じ新喜劇の団員だった光代夫人と結婚[5]。
  • 1986年-アメマバッジを10万個作成し、消費者金融に6000万円の借金[5]。
  • 1989年-吉本新喜劇を退団して東京進出(ただし、自宅は宝塚に置く)。萩本欽一に師事し、また島田洋七と漫才コンビを結成する(その後解消)。
  • 1990年から放送を開始した日本テレビのクイズ番組『マジカル頭脳パワー!!』のレギュラー解答者として1991年1月から最終回まで出演した[5]。
  • 1995年-兵庫県宝塚市の自宅で阪神・淡路大震災に遭うも、家族全員無事だった。
  • 2008年-12月17日に大阪をスタートして2年以上かけてマラソンとヨットで世界一周する「アースマラソン」に挑戦する[5]。この間、日本には一度も帰国しない予定なのでレギュラー番組は降板した。
  • 2011年-1月4日、福岡港に上陸。
  • 2011年-1月21日、2年1か月のアースマラソン4万1000kmにも及ぶ長い旅を終え、午後7時43分に大阪城音楽堂を第一終着地としてゴールインし親交ある芸人と一般視聴者に祝福された。その後最終終着地、なんばグランド花月(NGK)に午後8時40分ゴールインし、先輩や後輩芸人、家族に囲まれて祝福された。この様子は2時間生放送特番を組まれた。番組のしめ言葉は本人とNGK内にいた全員での「アメマ」であった。
  • 2016年-7月20日、若手芸人育成を目的として、「劇団間座」を立ち上げ[7]、12月24日・25日に旗揚げ公演『恋の虫』を上演[8]。

弟子[編集]

  • 塩野一平(廃業)
  • 玉村輝彦→シベリア文太
  • 本田みずほなど

2005年、この2人をも従えて石田靖や山田花子たちと『よしもと大爆笑劇場〜寛平劇団&バラエティー全国巡業中!!』で全国巡業した。

デビュー前から結婚まで[編集]

  • 10歳代の頃左官屋の見習いをしていたが、風呂場のタイル貼りを命じられた際、余ったセメントをそのまま排水溝に流してしまい、詰まらせたことが原因で解雇になった。
  • 芸能界へ入る前、ダンプカーの運転手をしていた。中には短時間で産業廃棄物を処理するため人目に付かない池へ不法廃棄したところ池がなくなってしまったという出来事もあった。また、若手の頃は経済的に苦しく、吉本に内緒でトラック運転手のアルバイトをしていた時期もあり、地方でうっかり事故したエピソードなどをときおり披露している。
  • 芸能界入りを目指したきっかけはテレビで見た菅原洋一を見て「こんなブサイク(醜男)がテレビに出れるのなら俺でも」と思ったからであった。芸能人を目指すべくキャバレー店に勤務、ボーイに就くも、ある日芸能界の入り口にすら立っていない事に気づく。後、大阪アメリカ村にある飲食店店員の職で稼ぎを得ていたが、入店した女性客(日限萬里子)から面相を大笑いされ「君、おもしろい顔をしているから吉本に紹介してあげる」と告げられ、言われるままついて行き吉本興業に入所。
  • 元々寛平とその妻・光代は先輩後輩の間柄。光代は萩本欽一の大ファンで萩本の追っかけをしており、萩本とも顔見知りであった。光代曰く、萩本との結婚も本気で考えていた。だが、後に萩本の結婚を知り大ショック。寛平が光代を慰めたのが付き合いの始まりであった。
  • 光代の実家が大きな家だったことに加え、当時は家がなく、坂田利夫などの家を渡り歩いており、これをきっかけに寛平は光代の実家に少しずつ自分の荷物を置いて行き、いつの間にか寛平が光代の実家に住み着いた。

東京進出[編集]

  • 東京で頑張りたいと独立を考えた(本人曰く、仕事先の宿の畳の目が「東京行け、東京行け」とささやいたからとのこと。また妻にも相談なしでの決断だったが、妻は文句を言わず送り出した)時に、当時、吉本の社員だった木村政雄に懸命に説得され、慰留が決まり、吉本興業東京本社(当時は東京事務所)に所属する事になった。同時に吉本新喜劇を退団する。寛平は東京に吉本の事務所があるのを知らなかったらしい。
  • 東京進出の理由として、アメマバッジの件(後述)も関わっていたとの話もある(『いつみても波瀾万丈』より)。東京では萩本欽一に師事し、干されても3年は頑張ると約束していた。
  • 吉本新喜劇を退団し上京、東京で仕事を探すも、関東での知名度が低いため苦労する。そんな時に妻が萩本の所へ行けと言われ、寛平が萩本の所へ行き助けを求めた。寛平との面識がなかった萩本は最初は驚き困惑したが、萩本が吉本に電話をして「(寛平は吉本に)必要な人だって」と寛平に告げ、その後萩本の仲介で自分の番組に寛平を出すなど、手助けをした。のちに萩本は「妻と一緒に来ていたら断っていた」と語っている(金スマより)。

借金・アメマバッジ関連[編集]

  • 生来、お人好しと無知が災いして次々と他人の借金の連帯保証人になってしまう。付いたあだ名は「歩くハンコ屋」。他にアメマバッジの失敗により6000万円(「さんまのまんま」でゲスト出演した時に自身が明かした)の借金を背負うが、妻の光代が必死の借金返済で当時0歳だった長女を連れて、街金の金融業者の前で長女をつねって泣かせて、金融業者を同情させる作戦で、借金の利子を免除してもらったと言う逸話がある(『いつみても波瀾万丈』で光代がゲスト出演した時に明らかになった)。普通の人間なら、利子を免除してもらえないのだが[9]、当時、寛平も売れ出し始めたこともあり、寛平自身が家族を養う事が厳しかった事から、光代が必死に訴えた努力の甲斐が実り、利子を免除することができた(現在は完済)。
  • アメマバッジの件では、バッジを製作した会社から費用の不払いのため訴えられて裁判沙汰となる(通称「アメマ裁判」)。この口頭尋問で、裁判官から「『アメマ』とは何ですか?」と聞かれ「『ア〜メマァ〜…』です」と答えたら、再び「ですから、『アメマ』とは何ですか?」と聞かれたため、再度「『ア〜メマァ〜…』です」と答えた。このやり取りが尋問中何回も繰り返され、法廷内全体を爆笑させたのは裁判でも過去に例がない語り草となっている。なおアメマバッジは、『いつみても平平凡凡』に出演したゲストにプレゼントされ、『痛快!明石家電視台』では会場の観客に[10]、さらに『進め!クリフハンガー冒険隊』では出演した親子全員にプレゼントされていた。
  • 当時は売れなかったアメマバッジであったが、2006年5月の『世界バリバリバリュー』の企画でYahoo!のチャリティーオークションに出品された際には入札が36件あり、2万5,501円で落札された(元の売り値1500円)。これを作った当時は「ICが入っているから高い」と聞かされていた寛平だが、実はICは入っていなかった。
  • 「アメマ〜」とは、本人いわく幼児が母親に対して言う「あ〜ママぁ…」が転じたもの、とのことである。
  • TV進出のきっかけは、当時の出演番組がABCラジオの『ポップ対歌謡曲』(週1本のレギュラー)しかなく、さんまとの会話で「兄さん、そのギャラじゃアメマの借金返せまへんやろー!」と言われたことがきっかけで、さんまが出演しているテレビ番組に共演するようになったことである。
  • アメマバッジの作成や連帯保証人として長年にわたって請け負った全ての負債を完済して安堵したのも束の間の数日後、阪神・淡路大震災が発生し宝塚市に建てたばかりのマイホームを失ってしまう。地震保険にも加入していなかったため家の再建費用などでその後もまた債務を負うことになった。

マラソン・他のスポーツ関連[編集]

  • 趣味としてマラソンをしており、3時間8分42秒(1998年)という市民ランナーとしては驚異的な記録を持っている。ギリシャの鉄人マラソン「スパルタスロン」では246kmを3度も完走、『24時間テレビ』の24時間マラソンでも200km(1995年は神戸-東京間、約600kmを7日間で完走)を完走するほどの健脚の持ち主でもある。
  • 24時間テレビチャリティーマラソンの最初のランナーである。番組スタッフが吉本興業に間寛平の深夜帯10分程度の出演オファーをした所、当時のマネージャーである比企啓之から「10分とは言わず24時間走らせましょうか?」と提案された事がきっかけでこの企画が始まっている[11]。
  • もともと寛平がマラソンを始めた理由は、心臓疾患の治療のためであったが、マラソンを続けているうちに心臓疾患を克服したばかりか、心臓の強さが陸上選手並みになったという。後々、長距離レースへとエスカレートしていった原因は、間の祖母にルーツがある。高齢であっても足腰が強く、幼少だった重美少年が追いつかずに音を上げる程に意気軒昂であったことから「もしかして長命の家系なのでは」と疑い、祖母も頑丈であるのなら、同じ血を引く自分の限界はどこまでなのか知りたくなった事にあるという。マラソンから転じて鉄人レースにも参加するようになり、仕事の行き来も走って練習を積む。しかし運動量の多さから食欲不足に陥り「ビールなら麦から作っているから米と同じだろう」と、自己判断で食事を採らずにビールを飲んでいたという。そのうちに身体がだるくなり、診察を受けたところ栄養不足と診断され、「ビールしか飲まないなんてとんでもない、普通の人間ならとっくに筋肉がずたずたになっているはずだ」と、医者はびっくりしていたという。『オールスター感謝祭』のマラソン競技でも、50歳代半ばにして一般男子以上のハンデがある。しかし近年はミニマラソンの高速化により、ミニマラソンではなく駅伝の方での参加が多くなっている。
  • 2006年、2007年の『24時間テレビ』内では十種競技にも挑戦。改めて鉄人振りをまざまざと見せ付けた。
  • 吉本以外の後輩では波田陽区を大変かわいがっている。そのため2006年、2007年の『24時間テレビ』で十種競技に挑戦する寛平を、村上ショージ、シベリア文太、レギュラーらと応援に来ていた。また、自身が地球一周マラソンにでる際には波田陽区のことを島田紳助に頼んでいたことが、2010年1月15日放送のホンネの殿堂!!紳助にはわかるまいっで島田紳助によって語られた。
  • 『オールスター感謝祭2009春』の赤坂5丁目ミニマラソンでアメリカから衛星中継でスターターを務めたが、その時まぶたに「へ」の字を描いており、島田紳助から「兄さん、その目はどないしたん?」と突っ込まれ「虫にかまれてん〜」とギャグをかまし、スタジオの出演者とスタッフだけではなくマラソンに出場したタレントまでも大爆笑した。しかし紳助は「兄さん、あきれて物言えんわ!」と突っ込みを入れた。

アースマラソン[編集]

  • 2007年の2月27日に、将来的に芸能活動を3年間休止して世界一周マラソンに挑戦する意向を表明。寛平本人はその理由を「目立ちたいから」だと語っている。
  • 2008年、モロッコ東南部のサハラマラソンに挑戦。食料などが入った重さ14キロのリュックを自ら背負い、総距離245キロメートルのコースを、3月30日-4月5日までの7日間をかけて、51時間46分5秒のタイムで完走。
  • 2008年8月19日、1999年から続いていた寛平まつりを2008年10月12日の10回記念公演を以って幕を下ろすことを公表。理由は2007年2月27日に公表した地球一周アースマラソン(KANPEIEARTHMARATHON)を2008年12月から実行に移すためというのが実情。2008年8月31日にKANPEIEARTHMARATHONの概要について公表された。
  • そして2008年12月17日の正午にスターターを務めた明石家さんまの合図で、大阪のなんばグランド花月をスタート。過酷なアースマラソンの旅が始まった。舞台には西川きよし、笑福亭仁鶴、コメディNo.1、ザ・ぼんち、島田紳助、村上ショージ、山田花子等の大御所や仲間がスタートの瞬間を見守った。
  • 2010年1月4日には、『アースマラソン』の際立ち寄ったトルコにて前立腺がんを発症していることが判明[5]。同13日に公表。今後は、治療を行いながら『アースマラソン』を続けていくことが明らかになった。3ヶ月後にトルクメニスタン到達後、病状が悪化する前に放射線治療を受けるために一時中断してアメリカに引き返したが、6月18日に再スタートした。
  • 2011年1月21日に2年1か月のアースマラソン4万1000kmに及ぶ長い旅を終え、午後7時43分に大阪城音楽堂を第一終着地としてゴールインした[5]。
  • 『アースマラソン』にて太平洋大西洋横断や中国大陸から日本への帰国の手段としてヨットを駆使するなどしたことから、日本セーリング連盟から間寛平に「セーリングの普及、認知度向上に貢献を果たした」として功労賞が贈られることになった[12]。

忌野清志郎との関係[編集]

  • 忌野清志郎と↑THEHIGH-LOWS↓の真島昌利からアルバム『ジャングル野郎』の楽曲提供を受けた関係で2001年6月6日、SHIBUYA-AXにて行われた↑THEHIGH-LOWS↓のライブのアンコールでスペシャルゲストとして登場。短時間で様々なギャグを披露した後、↑THEHIGH-LOWS↓の演奏でヒロトと一緒に「天国野郎ナンバーワン」(↑THEHIGH-LOWS↓と間寛平のバージョンがあるが、「天国野郎」を提供した↑THEHIGH-LOWS↓側がわけあってセルフカバーした際に「天国野郎ナンバーワン」と改題した)を熱唱した。この日のライブでは、普段は入場時に配られるフライヤーが配られず、退場時に「ジャングル野郎」の広告と一緒に配られたことから、寛平の登場はシークレット扱いだったとされる。この模様は、後に日本テレビ系列の深夜番組で放送された。
  • また、「ジャングル野郎」に収められている真島昌利提供の曲は、リリースの際、寛平の所属事務所側に一部歌詞を変更されてしまった。変更前の歌詞は、↑THEHIGH-LOWS↓バージョンを聴くことで知ることができる。また、寛平バージョンは寛平ならではのセリフが入っている。

バラエティ番組でのエピソード[編集

「間寛平」と関連する人物

萩本欽一 村上ショージ 木村政雄 波田陽区 山田花子 林家小染 藤山寛美 菅原洋一 坂田利夫 花紀京 桂文珍 石原裕次郎 植木等 桂きん枝 所ジョージ 笑福亭仁鶴 島田洋七 志村けん 真島昌利 月亭八方 鳳啓助 島田紳助 間慎太郎 忌野清志郎 千堂あきほ 岡八朗 明石家さんま 西川きよし 石田靖 江本孟紀
連想語句
マラソン関連エピソード東京よしもとアメマアースマラソンエージェンシークリエイティブゴルフスポーツデビューバッジパチンコレゲエ借金宿毛市寛平年譜弟子忌野清志郎競馬結婚進出関係高知県しげみはざまシンガーバラエティ兄さん出身名義所属本名歌手活動番組趣味通称重美

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