生年月日データベース

達川光男たつかわみつお

プロ野球選手、監督[日本]

1955年 7月13日 生 (満63歳)

達川光男 - ウィキペディアより引用

達川 光男(たつかわ みつお、1955年7月13日 - )は、日本の元プロ野球選手(捕手)・監督、野球解説者。
広島東洋カープの正捕手として、1980年代に活躍。
広島の一軍監督を務めた1998年から2000年までは、達川 晃豊(本名と読みが同じ)という登録名を用いていた。
監督辞任後は、本名で活動。
フジテレビ・テレビ新広島・ニッポン放送などの解説者、スポーツ報知評論家、福岡ダイエーホークス・阪神タイガース・中日ドラゴンズのコーチを歴任している。
プロ入り前 1973年、迫田穆成率いる広島商業高校時代、春のセンバツに出場し準優勝。
特に江川卓を擁する作新学院を、チーム一丸で待ちと小技で攻め崩す作戦で下した試合は現在でも語り草となっている。
同年の夏の甲子園にも出場し優勝。
実は捕手にコンバートされたのは高校1年生からである。
3年生は引退しており2年生は修学旅行中であり達川ら1年生だけで練習していたところ、1年生捕手が蛸の食中毒で練習を欠席しており、代わりに達川が入った。

■ 映像作品

■ 関連書籍

プロ野球選手・指導者・監督・評論家。 監督時の登録名は「達川晃豊」。 右投右打、ポジションは捕手。背番号は40番。 1955年7月13日生まれ。広島県出身。 広島商業、東洋大学を経て、1978年にドラフト4位で広島東洋カープに入団。 水沼四郎、道原裕幸の後を受け、カープの正捕手として活躍。 大野豊や北別府学、津田恒実らとバッテリーを組む。 攻撃的なリードと打者に話しかける戦術*1で活躍。 本来のプレー以外でもファンを大いに楽しませた、数少ない選手の一人だった*2。 1991年、セ・リーグ優勝を機に、一度は現役引退表明するが、現役を続行。 翌1992年、現役引退。 1995年、福岡ダイエーホークスのコーチに就任。同年退団。 1998年、広島東洋カープに二軍監督として復帰。 1999年、一軍監督に就任。 2000年、退団。 2003年、阪神タイガースのバッテリーコーチに就任。チームの優勝に貢献。 その後テレビ新広島・ニッポン放送の解説者。広島弁を貫く解説で人気を博す。 また、マスターズリーグ・福岡ドンタクズの選手、モルツ球団の選手としても活躍。 2014年、中日ドラゴンズのバッテリーコーチに就任。 *1:ささやき戦術の一種。話しかけて揺さぶっていた大杉勝男に本塁打を打たれ、ホームに生還後殴られたのは有名。 *2:ホームベース付近でコンタクトレンズを落として探す。また、バットの付け根に当てて死球を装うなど、巧妙だった。 (引用元 Hatena Keyword)

連想語句
  • 野球
  • 現役
  • 監督
  • プロ野球
  • 広島
  • 解説者
  • スポーツ報知
  • テレビ
  • ニッポン放送
  • プロ
  • 中日ドラゴンズ
  • 広島東洋カープ
  • 引退
  • 捕手
  • 時代
  • 本名
  • 福岡ダイエーホークス
  • 評論家
  • 達川
  • 選手
  • 阪神タイガース
  • たつかわ
  • みつお
  • コーチ
  • フジテレビ
  • フジテレビジョン
  • 一軍
  • 光男
  • 日本
  • 晃豊
  • 正捕手
  • 歴任
  • 活動
  • 活躍
  • 登録
  • 辞任