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藤原忠通ふじわらただみち

公卿、摂政関白太政大臣[日本]

(承徳元年閏1月29日生)

(ユリウス暦) 1097年 3月15日

(ユリウス暦) 1164年 3月13日 死去享年68歳
藤原忠通 - ウィキペディアより引用
藤原 忠通(ふじわら の ただみち)は、日本の平安時代後期から末期の公卿。
従一位・摂政 関白・太政大臣。
通称は法性寺関白(ほっしょうじ かんぱく)。
小倉百人一首では法性寺入道前関白太政大臣。
摂政関白太政大臣藤原忠実の長男。
生涯 康和5年(1103年)、大江匡房の名付により「忠通」と称する。
嘉承2年(1107年)、元服し白河法皇の猶子となる。
永久2年(1114年)、白河法皇の意向により法皇の養女の藤原璋子(閑院流・藤原公実の娘)との縁談が持ち上がるが、璋子の素行に噂があったこともあり、父・忠実はこの縁談を固辞し破談となる。
保安2年(1121年)、法皇の勅勘をこうむり関白を辞任した忠実に代わって藤原氏長者となり、25歳にして鳥羽天皇の関白に就任。
その後も崇徳・近衛・後白河の3代に渡って摂政・関白を務めることとなった。
摂関歴37年は高祖父・頼通の50年に次ぐ。
また太治4年(1129年)、正妻腹の娘・聖子を崇徳天皇の後宮に女御として入内させ、翌5年(1130年)、聖子は中宮に冊立された。

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