生年月日データベース

具志堅用高ぐしけんようこう

プロボクシング選手[日本]

1955年 6月26日

具志堅用高 - ウィキペディアより引用

具志堅 用高(ぐしけん ようこう、男性、1955年6月26日 - )は、日本の元プロボクサー、タレント。
沖縄県石垣市出身。
元WBA世界ライトフライ級王者。
太田プロダクション所属。
2015年に国際ボクシング名誉の殿堂オールドタイマー部門に選出された。
ニックネームは「カンムリワシ」。
生来のサウスポー(ただし、書き手は右手)。
ボクシングスタイルはファイタータイプ。
血液型A型。
トレードマークは独特のアフロヘアー(天然ではない)と口髭。
入場テーマ曲はメイナード・ファーガソンの「Conquistador」(征服者)。
協栄ジム初代会長の金平正紀が具志堅の世界初挑戦の時に「100年に一人の天才」というキャッチフレーズで売り出した(具志堅引退後に同じライトフライ級でデビューした大橋秀行【ヨネクラ】は“150年に一人の天才”)。
沖縄県石垣市(石垣島)生まれ。
旧琉球王国の士族の家系である具志堅親雲上用易を元祖とする允氏具志堅家の系譜であり、名乗り頭に「用」の字を用いている。

■ 映像作品

■ 関連書籍

ぐしけんようこう [生]1955.6.26.沖縄,石垣プロボクサー。那覇市の興南高等学校でボクシングを始め,3年生のとき全国高等学校総合体育大会のモスキート級で優勝,卒業後上京してプロ入り。1974年プロデビュー。1976年ドミニカ共和国の世界ボクシング協会WBA世界ジュニアフライ級チャンピオンのフアン・グスマンに挑戦し,7回ノックアウトKO勝ちで世界チャンピオンの座を獲得。カンムリワシの異名をとった。1980年に13度目の防衛に成功してジュニアフライ級の世界王座防衛世界新記録を樹立。翌1981年,沖縄での防衛戦でメキシコのペドロ・フローレスに敗れ,引退した。以後解説者などで活躍し,1995年白井義男と白井・具志堅スポーツジムを設立,会長として後進育成に尽力。通算成績は24戦23勝(15KO)1敗。2014年12月に国際ボクシング殿堂入りを果たした。 (引用元 コトバンク)

連想語句
  • アニメ
  • タレント
  • テレビ
  • テレビドラマ
  • バラエティ
  • フライ級
  • プロダクション
  • ボクシング
  • ライト
  • 世界
  • 出演
  • 太田
  • 家族
  • 戦績
  • 教養
  • 映画
  • 概要
  • 沖縄県
  • 法政大学
  • 番組
  • 石垣市
  • 著書
  • オールド
  • タイマー
  • 出身
  • 卒業
  • 協会
  • 名誉
  • 国際
  • 所属
  • 教育
  • 殿堂
  • 王者
  • 通信
  • 選出
  • 部門