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アウン・サン・スー・チー

政治家、民主化運動指導者[ミャンマー]

1945年 6月19日

アウン・サン・スー・チー - ウィキペディアより引用

アウン・サン・スー・チー(ビルマ語: အောင်ဆန်းစုကြည် (画像による標示:x18px)、ラテン文字転写: Aung San Suu Kyi、国際音声記号 [aʊŋˌsæn.suːˈtʃiː]。
1945年6月19日 - )は、ミャンマーにおける非暴力民主化運動の指導者、政治家。
現在、国民民主連盟中央執行委員会議長。
2016年3月30日にティンチョーを大統領とする新政権が発足したことにともない、外相、大統領府相を兼任(当初は教育相と電力エネルギー相も兼任していた)、さらに新設の国家顧問にも就いた。
ビルマの独立運動を主導し、その達成を目前にして暗殺された「ビルマ建国の父」ことアウン・サン将軍の娘である。
敬虔なテーラワーダ仏教徒とされる。
使用言語はビルマ語、英語、フランス語、日本語。
ただし、2013年訪仏時にはフランス語で講演を行っているが、同年の訪日時には、英語で記者会見を行っている。
日本や、英語メディア、仏語メディア、独語メディアなどの報道では「スー・チー」「スー・チーさん」などと表記されることもあるが、原語では姓名の区別なく「アウンサンスーチー」と一語で表記する(後述)。

■ 関連書籍

AungSanSuuKyi [生]1945.6.19.ビルマ,ラングーンミャンマーの政治家,民主化運動指導者。ミャンマー独立運動の父と呼ばれるアウン・サンの長女,母は著名な外交官。1960年母のインド大使着任に伴ってインドに渡り,当地で教育を受けた。その後,イギリスのオックスフォード大学に留学,政治学,哲学,経済学を学んだ。1972年イギリス人学者マイケル・エアリスと結婚。1988年に単身帰国,軍事独裁政権に抵抗して同1988年9月に国民民主連盟NLDを創設,書記長に就任した。反政府運動を率いて活躍したが,1989年7月にティン・ウNLD議長とともに自宅軟禁処分となった。軍事政権から国外退去を条件に自由を認める提案を受けたが拒絶。1991年NLD書記長を解任されたが,1995年7月に軟禁を解かれると10月にはNLD書記長に復帰。2000年9月から2002年5月まで再度自宅軟禁。2003年に再び自宅軟禁となり,2009年に国家転覆防御法違反で逮捕され,有罪判決を受けた。2010年にNLD解党。2011年8月,文民出身のテイン・セイン大統領との会談が実現,同年12月にはアメリカ合衆国のヒラリー・R.クリントン国務長官と会談した。2012年4月に実施された下院補欠選挙に復党したNLDから出馬して当選を果たした。1991年,非暴力によるミャンマーの民主化運動への貢献によりノーベル平和賞を受賞,同年サハロフ賞も受賞した。著書に『自由自ら綴った祖国愛の記録』FreedomfromFear:AndOtherWritings(1995),『増補復刻版ビルマからの手紙1995~1996』LettersfromBurma(1997)など。 (引用元 コトバンク)

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